ネパール:カトマンズ
ほぼ一年ぶりの続編でごんす。 もう1年前のことなんでネパールのことなんざ忘れてるかと思ったが、デジカメの画像見てたらけっこう思い出してくるもんだ。
さて、今日も朝から寺・寺・寺と修学旅行のような日程。朝9時からキチンとガイドさんがホテルに迎えにきてくれている。コバヤシカツヤ似。この人も日本語うまいなあ。そういえばこの旅行のあと近くにチベット料理の店ができたんだが、そこのネパール人のマスターも日本語やたらうまい。そして温厚。まあインド人と比較してなのかもしれないが。ところで東電OL殺人事件の容疑者って確かネパール人だったと思うが、ネパール人殺人なんてやるかなあ。「アルカイダと似たような場所のほうの人だから殺人くらいやるだろう」とかいっしょくたにしてないか。冤罪くさいなあ。それとも日本にきて堕落したんかなあ。ああ、このことネパール人はどう思ってるんか聞いてくんの忘れた。つか知らんかそんな異国のニュース。 ![]() さて、まずは車で環状線からチベット仏教の聖地ボダナートに。観光客イパーイでみやげ物屋が林立していて洞爺湖畔のイメージ。木刀売ってないかな。みやげはもっぱらミニ・マニ車。もっと小さくして携帯ストラップにすれば日本人に売れると思う。「禅」と漢字で書かれた日本食レストランらしきものもあり。例によって右回りに回りながらストゥーパ(仏塔)に登っていく。けっこう高い。仏塔なんでドーム型というかジンギスカンの鍋型に湾曲していて非常に不安定。もちろん柵なんてヤボなモノはなし。雨ふったらすべりおちる奴絶対いるなこれ。そこらへんに付属しているマニ車を右にまわしながらブラブラ登っていく。途中いっこだけ左に回されているマニ車発見。ガイドがあわてて右に回し直す。「あぶなかった、もう少し気がつくのが遅ければ世界が崩壊していたかもしれない」みたいな感じでマジあせっていた。 ![]() これを書いていて思い出したが、俺がさいきんお気に入りの作家、倉阪鬼一郎の「大鬼神」がこれと似たような?話でおもしろい(絶版してなきゃラッキー)。右回りのニュートリノの呪いが横綱にのりうつって巨大化して世界(とりあえず京都あたりから)を破壊しまくんの(ちょっとネタバレだがまあ最初の数ページ読めばだいたいそういう方向になるかと想像つくんでないかな)。ギャグなのかマジなのかわかりにくい作品。いやーいいなあこういう発想。俺も戦時中の「かわいそうな関取」とか、自爆肉弾テロ組織「赤い夏場所」とかいうネタはあるがそれよりずっとスケールが大きい。どなたかゼヒ映画化を。
さて、ひととおり見るもの見たんで移動。次はなぜか近くの仏教学校を見学に行くことに。途中足のないのとか顔が半分ないのとか絶対余命ンヶ月しかない発育不良の赤ん坊かかえた母親などのジキコがたくさんいる通りをぬける。インドの時には無視してたんで、ここでも無視することにする。・・あれ、でもガイドはちゃんとお金あげてるなあ。ネパールではあげたほういいのかも。ん。なんか長官がかたまっている。「うう・・実際に見るとインパクトが強・・」あ、インド圏は初めてだったか長官。インド行った時は俺一人旅だったからなあ。 ![]() 途中子供がワラワラよってくる。 長官「子供だ。デジカメ珍しいんだねえ、よしよし」 俺「あっ、その子供たちにデジカメを見せると・・・・」 子供はとうぜんのようにさっとデジカメをつかんでもっていこうとする。 俺「ホラね」 なんなくデジカメを奪い返す俺。 俺・ガイド「チョロ(あっち行け)!」 クモの子を散らすように逃げ去る子供たち。うーんアジアのどこにでも見られるほのぼのした光景だねえ・・あれ、長官またかたまってる・・
さて仏教学校に到着。学校の名前わすれた。雰囲気的に母校の高校に似る。仏教かカトリックかの違いでフツーの高校ですな。寮では寮母さんが食事の支度やら洗濯をしていてなつかしい感じ。あ、俺は寮ではないんだけどね。偉い人が建てた有名な高校であるとガイドの説明。昼食はそこらへんの貧しい人にも分けるらしい。あ、それでジキコが多いのか・・観光地でもあるしなあ。 ![]() さて、俺たちも昼食。王宮のあるカトマンズ中心部に・・あれ、なんか警官が多いなあ。道路が封鎖されてる。拡声器からアジテーションの声が。「我々はアアァァ、印度帝国主義のオォォォォ・・・」 ガイド「労働組合がゼネストおこすらしいですねえ。今デモと集会やってるらしいですよ」 俺「ふーん。俺たち帰れるのかな・・」 ガイド「規模が大きかったら空港も封鎖されるかもしれませんねえ・・まあ春闘ですのでこの季節はよくあるんですよ」 道路が封鎖されて車がはいれないので、ちょっと離れたところで車を降りてチベット料理の店に。ギャコック(チベット風春雨の鍋)だ。これ食いたかったんだ。 外のアジテーションとラジオのニュース番組を聞きながらまったりしたランチタイムをとる。 ガイド「(ニュースを聞きながら)ファルージャ、戦闘ひどいみたいですねえ」 俺「そのようですね。でも日本人はなんかかんけいあるのかな・・(この時はまだ日本人3人組拘束のニュースはなかったが、時期的に既に拘束されていたはず)」 ガイド「まあなんかあっても日本は裕福だから・・(←その後の行く末を見通したナイス予知)。ところでそのデジカメいいですねえ。いくらくらいするんですか」 俺「あ、秋葉原だったらこのタイプだったら10.000円以下で買えるんじゃないかな」 ガイド「安・・私も買ってこようかな」 俺「ああ、日本以外はどこも電化製品高いですもんね・・インドやネパールだったら円で10万くらいするかも」 ガイド「ですねえ」 俺「子供もとろうとするワケだ」 ガイド「ハハハ」 ![]() 腹もいっぱいになったので続いてヒンズー教の聖地、パシュパティナートに。ガンジスの源流が流れているので火葬場もある。インドの火葬場ほどは「写真とるな」とかうるさく言われないが、ヒンズー教徒でないと寺院そのものにはいれないので、となりの建物からウラにまわる。ウラからだと結局川はさんで建物の中以外はほとんど見える。いいなあこのアバウトさ。寺院なのでサルがいる。ここのサルはノンアクでこっちが何もしない限り襲いかかってはこない。しかしサルはリンクするし強いのでレベルあげには向かない。僧に手を出すと「みんなのうらみ」がたまるので注意(FFXIやってない人にはなんのことかわかりません)。 ![]() まだ昼メシの時間だったらしく、寺院でボランティアの炊き出しがあった。とうぜんカレー。サドゥーもふつうのジキコも一緒にちゃんと並んで給食をうける。となりの病院というか療養所も見学。ここも無料らしい。患者は半分くらい精神疾患っぽ。風通しがいい(つか、壁がない巨大なあづまや)ので意外に清潔だが、やっぱ病院というか集団生活のニオイはするなあ。バンドネオンの練習をしている患者がいたが、音階がなぜかブルーノート(三度と七度がフラット)。ジャズかブルース屋か。しかし音階を永遠にくり返しているだけ。
サクッとまわって次のスワヤンブ・ナートに移動。山野一の「インドぢる」には「ここの石段は異常にキツイ」と書かれていたうえ、ガイドに「途中まで車で登ることができたんですが、今日はその道路が封鎖されてます・・ふもとから登りますか?」と聞かれる。ここまて来て帰るのもつまんないのでとりあえず登ることに。覚悟キメて登るが結局そんなに急でもないし長くもなかった。四国のヤツのほうがキツイです。
途中、たぶん寺で飼ってる成長しかかったひよこと母にわとりを発見。かわいいのでナデナデしようとすると、とつぜん「ワシの家族に何サラしとんじゃゴルア!」と父にわとりが怒鳴りこんでくる。あわてて父にわとりに謝罪しると「わかりゃええんじゃ」と許してもらえた。後ろから来た別の観光客も同様のことをやって父にわとりにおこらえていたようだ。その後カレー皿に使われたハスかなんかの葉っぱを食べていたヤギ家族も確認。
![]() 山頂に登ると地球っぽい金属のオブジェ。ガイドの説明が。 ガイド「このオブジェは日本の宗教団体の援助によって作られました」 俺・長官「【むむむ。】」 ガイド「たしか、ニチレン宗という仏教の一派・・・」 俺「それ、カル・・・」 ガイド「(マジ?)(←急に声をひそめる)」 俺「(いや、そうではないかもしれないけど、あまり一般の国民からは好かれていない宗教団体で・・ニチレンにも2種類ありますが、金持ってて海外になんか作りたがるのはたぶん・・)」 ガイド「(ホント〜!)(←発音せず口だけで語る)」 俺「日本の人口の一割くらいが信者と言われています」 ガイド「それは大きいね〜。日本の人口の一割ったら1000万人以上だもんねえ・・」 この後、宗教的な話題はなんとなくタブーということになる。 (ここらへんなんか俺に間違った認識あるかもしれませんがもうガイドにはそう言っちゃったんで御了承) ![]() 展望台っぽくなったところからカトマンズ全景が見渡せる。が、人多杉。金閣寺並。人の波に流されて5分くらいでわけわかんないウチに拝観終了。
ああ、一日にいろんなとこまわりすぎだ〜! ファイルが重くなりすぎるので、この後の話は次回に。さあ、俺はクマリに萌えることができるのか? はたして空港は封鎖されているのか? ロイヤルネパール航空ではネパール映画を上映しているのか? そして、拉致された三人組の行方は? 次回ネパール変最終話「クマリの館〜帰路変」に続きます。ンガググ
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