my LIFE as HERMIT


「オーヴァー・ザ・レインボウ!!変」

 

 一気飲みした。

 

 起きれなかった。意識はうす〜くあったらしい。クリニックに行こうとするが階段を降りられないので、救急を呼んだ。主治医に会い、脳外科のある病院に転送された。

 

 処置室に入った。肝臓と腎臓がかなりやられてた。血圧を調整するクスリと、「どろっとした塩水」を点滴される(痛いのよコレが)。胃は洗わなかった。

 

 このころの意識はナイ。でも点滴が痛くて暴れた(針を抜いちゃう)。もともと「注射のヘタな看護婦は免停にせい!」と思ってるので、なんとなく看護婦と10日くらいバトルしてたような気はしてた。

 

 意識がほぼ清明になった。朝だった。

 

 床頭の『入院日』を見る。看護婦に「今日は何日?」と問うと、バトルは3日だけだったコトがわかる。手を見ると歴戦の痕(あぁ…)。

 

 若い彼女は、初めからなんか感情的だった。何処にいるのかもわからナイのでぽつぽつと身のまわりのコトを訊ねてみるのだが、しまいには怒鳴られた。悔しくて泣いた。確かに入院した理由が理由だけど…。聞くに耐えなかった。

 

 カラダを拭いてもらう。午後から上の階の個室に家族の付添い(監視)付きで移るという。

 

 腎臓がやられてると説明を受ける。「酒が飲めなくなるなぁ」と呑気なコトを思う(をいをい)。

 

夜、寝るとき、カラダを拘束される。点滴も心配なので、手も自分から申し出て縛ってもらった。数年ぶりに眠剤ナシで眠る。やはり眠りは浅い。

 

 食事はナシ。トイレはカテーテルが入っている。水分は取れとのことなので、アイソトニック飲料を飲んでいた。

 

 腎臓のCTを撮る。熱気で気分が悪くなった。ずっと同じ姿勢でいたので、お尻にアザができていた。

 

 やはり夜は縛ってもらった。今晩のは苦しい。拘束も苦しい。眠れないし、気分は落ち込むばかり。抗ウツ剤ももちろん飲んでいないし。近所には精神科のある総合病院ナイんだよな。うん、必要だよ、などと半泣きしながら思う。拘束と片手は外してもらった。

 

 同じフロアには脳血管障害のお年寄りが多い。あとは交通事故かな。自分は病室から出れないけど、お年寄りの声は聞こえる。

 

 婦長さんに「精神科のある病院に行きたい」と訴える。ケースワーカーたちと相談してくれるという。

 

 看護士クンが結構いる。点滴のコトなんかは詳しく説明してくれてよい。そのとき、針がプラスチックだと知る。折り紙セットに付いてたプラスチックのハサミを連想し「痛くナイわけナイじゃナイか!」と憤る。すでに針はよれよれで、液が漏れたりしていた。

 

 ずっと塩水だったのがブドウ糖に変わる。血圧のクスリはナシになった。その間に、肝臓のクスリを加えられたりもしていた。とうとう針がダメになる。一種なので、金属の針でもよいとのことなので、迷わずそっちを選ぶ。さらさらと流れる。うれしい。

 

 カテーテルを外す練習をする。2回でクリア。病院の病衣を脱ぎ、パジャマに着替える。点滴をひきずって部屋の中を歩く。また塩水が来たけど大丈夫。

 

 主治医のもとに受診に行って、どっか精神科に入院するか、場合によっては家に帰ってもよいと医者から言われる。

 

 点滴も終わる。一気飲みしてからちょうど1週間。なかなか寝付けなかった。過去のコトだけど、きれいな夢を見れた。

 

 初めての食事が出るが、食欲はなかったし、美味しく感じられなかった。衣類は家に持ち返されてたので、パジャマの上に家族のコートをはおってタクシーに乗る。

 

 なつかしいクリニックへ。救急で運ばれたときに、エレベーターで隊員さんに「○階」と教えたんだそうだ。狭くて大変だったろう。流石に恐縮して主治医に会う。当然叱られる。ワタシが渋っていたカウンセリングも開始になっちゃう。クスリは家族管理。何も言えない。でも家に戻れた。保護室は、もっと重症の人のためにあるんだって。

 

 内臓のコトは思いもよらなかった(致死量は飲んでません)。安易だった。オーバードーズは、とにかくおススメしません。やめませう。

 

 やっちゃったワタシがバカだけど、やっちゃった人に対する精神的なケアは大事だよなと、しみじみ思った1週間でした。

 

おはり

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