登校日 1994年4月×日、神奈川県横須賀市走水の砂が吹き荒れる丘の上にたつ防衛大学に両親と足を踏み入れた.ここからドラマははじまる。ここでの1年はひとが10年生きたのと等しい。まず着校した。対番が私を迎えてくれた.対番とは2学年の人でいろいろ教えてくれる人.まずしたことが私服を送りかえすこと。私物をもってはならない。それから被服合わせがあって正装、校内服、作業服が貸与された。この日は制服に名札をつけるのとすそ上げに時間を費やした.風呂に入りにいった。シャワーの数は足りないので上級生に譲る。椅子の数もたりないので上級生に譲る.だから風呂桶でふろからお湯をくみだして膝をついて体を洗うことになる.敬礼の仕方を覚えた.敬礼は肘が肩のラインと1直線じょうにあらねばなくて指はきちっとのばし引っ付け正面から見たとき手のひらがみえないようにする。フランスの敬礼は逆で手のひらをみせるそうだ。武器をもってないことをみせるという意味合いがあるようだ。
1994年4月×日、厳かに入校式が行われた.「宣誓、われわれは防衛大学校学生たる名誉と責任を自覚し政治的活動に関与せず法令および日本国憲法を遵守し全力を尽くして学業に励むことをちかいます。」 これで晴れて防衛大学校学生となった.はたしてよかったのかどうか。
防衛生活開始
入校日以降、それまではお客様扱いだったがとたん厳しい生活が始まった.少年院よりきついよ。まず日課からいこう。自衛隊での時間の読み方は朝6時23分なら0623という。0623どこそこ集合っていう具合.
朝0630起床 起床という放送のあとベッドから飛び起き毛布をたたみ、シーツを四隅をきちっとそろえてたたみ舎前(学生舎の前)に5分以内に集合しなければいけない。そこで縦隊にならび1年は大声で「右向け右、左向け左、回れ右、かしら右、駆け足進め、捧げ銃、担え銃、たて銃」のどれかを叫ばなければならない.号令の練習.男子は上半身裸で女子はTシャツをきて寒風摩擦をする。ざっとそろったとことで点呼。4列縦隊になってるので1列目の1年が順に「1、2、・・・15の満」と叫ぶ.満とは4人そろってることで欠とはそろってないこと。
0815国旗掲揚 君が代が流れる.国旗に敬礼をする。そのあと課業整列をし行進して授業に向かう.授業も任務なのだ。 昼ご飯は会食.各大隊で食べる.1年が配膳する。茶碗は右、汁物は左とかきまってた。あと上級生の椅子のうしろを通るときは「失礼します。」と言い続けなければいけない.何人もいるときは大変.ご飯はまずかった。多分刑務所の次だと思う.タイの米に日本の米をブレンドしたものだったが。激まずだった。しかも1日3000キロカロリー。あさはパン3枚もあった。あれは普通のクラブでは太る。大体男子で平均5キロ女子では10キロ太った.まあ筋肉もついたんだろうけど。やっぱり女子はあまりにもハードでホルモンバランスがくずれるからだと思う.私も6ヶ月生理がなかった。人に聞くとみんなそうらしい。ある女性幹部の人は幹部候補生学校中1年も生理がなかったそうだ。
東京湾で遠泳(防衛大学にて)
7月東京湾で遠泳の行事がある。とにかく6時間泳ぎつづける.その日のために泳げない者は泳げるまで訓練される。水泳補備訓練という名目で.泳ぎ方は平泳ぎ.なぜならクロールだとばてやすいという実績があるらしい。私は泳げたのだが泳ぎ方がドルフィンキックだったためこの水泳補備訓練に参加した。ドルフィンキックはなかなかなおらなかったが2ヶ月ほどでようやくなおった.ロスのオリンピックにでたという水泳の先生に教えてもらった.なかなか教え方がうまかった。水着も統一されていた。PXという売店でみんな水着を買った.競泳用のぴちぴちしたやつだった。男の人のはよくわかんなかったけどなんか下にもう1枚パンツみたいなのをはくらしかった。女の人のは胸のところにパットを入れる.これもわざわざぬいつけなくてはいけないやっかいなものだった。これをしないと乳首とかがすけてみえてとてもエロかった。
遠泳当日、快晴.みんなで隊列くんで東京湾にやってきた。そしてそのまま隊列組んで東京湾に泳ぎに入った.東京湾はすごくワカメとか浮いてたり油のにおいがしたりと汚いなってかんじだった。指導教官は船で待機してて具合が悪くなったら船につかまらせてくれるとのことだった。夏だが長く水につかっているとすごく体温が奪われるのでからだにワセリンをぬって防御した。くらげがすごく多かった.半端じゃなく大群で攻めてくる.でもくらげを避けるために隊列を乱すと指導教官が「隊列を乱すな.」と怒るのでなるべくくらげを怒らさないように手でかき分けながら泳いだ.なかにはすごい人がいてくらげを撃退するために割り箸をもっていてくらげがいるとそれで刺すらしい。うしろのひとはそういう人がいてくれると大変ありがたい。くらげといえば昔くらげにさされて大変な状態になった人がいたらしい。とくに赤くらげは危険だとおしえられた。江田島の海上自衛隊の幹部候補生学校でもその昔鮫におそわれ死んだひともいたそうだ。江田島の幹部候補生学校は12時間泳ぎつづける遠泳を今もおこなっている。猿島というところがゴールだったが波がたかくて猿島にはいけなかった.途中、かんぱんとこおりざとうが洗面器にいれてくばられた。ほんとは船から投げてくれるらしいが隊列が乱れるのでやめたらしい。なんとか6時間泳ぎきることができた。 |