ラオカイ〜ハノイ
ノックが鳴る。 乗務員「朝ですよ 到着しましたよ」 うーん爽快な目覚め・・・って外はぜんぜん真っ暗じゃねーか。現在午前4時。早めについたようだ(列車って早めについていいのか?)。長官は結局揺れて全然寝れなかった模様。
半分寝たままトランク持ってハノイ駅前に。出て0.1秒くらいで50台くらいいる中の白タクの運ちゃんの一人にゲットされる。まだ夜なのでか、正規のタクシーは一台もいない。一応「テポドン砲・・・」と言ってみるがそもそも白タクなんでメーターなどない。運ちゃん「ホテルまで5ドルでどーだ」・・まあ白タクの深夜早朝料金としては高くはないのかもしれないがとりあえず値切る。「2ドルだ」「・・・・OK」交渉成立。競争相手が多いので運ちゃんもゴネない。つか駅に来た時の正規のタクシー料金より安いな。
ここでやっと海外での支払いの大原則を思い出す。支払い時、絶対にサイフは見せないこと。ポケットにナマの必要最小限の現金を入れておいて「俺はこれしか持っていませんよ」とアピールする。そうでないとどんどん「もっとくれもっとくれ」と言われるのだ。
キッチリ2ドルでホテル到着。いい白タクだ。初めてベトナムに来たときと同じホテルなので、部屋に「おかえり」メッセージがはいっている。 ![]() 白々と夜が明けてきたが、このまま寝ないで町歩きするほどの体力はないのでいっかい寝る。長官はベッドはいって1秒で熟睡。俺は、・・・・なんか腹へったような。朝食ビュッフェやってるなあ。一階のレストランでセルフ・フォーをやっていたので自分で麺ゆがいて具入れて汁かけて食う。満足して寝る。しかし一説によると「それは自分でやるものではなくて、係員がいて作ってくれる」モノらしかったが、係員いなかったから別にいいだろ。
パクチーとニョクマムのゲップとともにさわやかに昼過ぎに起床。ああ胸焼けする。長官も起きる。今日の予定はオミヤゲ購入、町ウロウロ、俺は床屋、長官はエステ、そして帰国。出発前に長官のエステの予約をいれる。
もう町中心部の構造はだいたいわかったので、迷わず町中心部に徒歩で行く。そうそう、サパ行く前にオーダーした長官のアオザイを取りにいかなければならないのだった。まずはアオザイ屋に。
「5日前に注文していた者ですが」と店員に言うと、ニコリともせずに現物を持ってくる。店員「試着を」どれ、どんな感じに仕上がっているのか・・
俺「パッツンパッツンじゃねーか」 長官「アオザイはこういうものなんだよ」
強制的に納得させられる。しかし他のベトナムの人はもっと余裕もって着ている気もするが。長官「そんなの民族差だ」そうですか。とりあえず仕立に文句はないということで金はらって店を出る。
試着も済んだことだし何かメシを食おう。しかし現在午後2時、ランチタイムはどこも終了だなあ・・とウロウロしていると、旧市街交差点にまだやってるフォー屋台発見。これだ。
俺「フォー・ガー二つ」 オバチャン「ガー? 鶏でいいの?」 なんか牛肉のほうがうまそうだ。 俺「・・・んー、やっはりボー(牛)で二つ」 一杯5000ドン。やっぱメシ食うなら屋台だねえ。 ![]() そなえつけのライムと細切り生唐辛子(けっこう辛い)とスイートチリソースをがっちょり入れて食ってると、むかいに座ってたモデル体型のベトナム人女性と目が合う。なんかベトナムの屋台ってのはやたらイスが低くて小さく、その女は足がたいへんに長くて俺の食事エリアまで足が侵入してくるイキオイなのだ。俺のドンブリの下を通ってそいつの素足とサンダルがこっちまで来てる感じ。日本語で話しかけてきた。「ニホンジンか?」「あ、ハイ」「ワタシもちょっとだけニホンにいたよ。ベトナム、オイシーね」「はあ」
そんな国際交流後、オミヤゲを買いにその近くの老舗お茶屋、フォーン・センまで行く。名物のハス茶、ウルルンかなんかでやってたな。けっこういい値段がする。値引きナシ。
炎天下歩き続けるのもしんどいので、どこか涼しそうなところはないか・・と市内マップ見ていると、ベトナム戦争の時の米軍捕虜収容所というのがあるではないか。そこ決定。地図のとおりに歩き、それっぽい建物があったのではいろうとすると、いきなり顔色を変えた門番の軍人がやってきて「何の御用ですか」と詰問される。えっ、ここ今も軍事拠点かなんかだったん? 俺「我々はこのホアロー収容所ということろに単に見学に・・」軍人「(何やらホッとした表情になり)あ、それ向かいだ」微妙に場所が違っていたらしい。しかし、そこはいったい何だったんだろう。 ![]() ホアロー収容所。ベトナム戦争以前にも政治犯や捕虜を入れる刑務所・収容所として使用されていたらしい。 ベトナム戦争当時、アメリカ人からはギャグで『ハノイ・ヒルトン』と呼ばれ、今も別名そう言われているらしいが、現在では本当の『ハノイ・ヒルトン』があるんですが・・。ハノイ・ヒルトン予約したらこっちに連れてこられたりして。 ![]() 5000ドン払って中に。原爆資料館みたいにウツウツとした展示が続くのかと思ってたが、「我が勇敢なる革命戦士が勝利をおさめ・・」みたいな勇ましい解説文が続く。あ、いちおう勝ったほうだもんな、(北)ベトナムって。なんとなく勝った感じしないんだが。フランス統治時代のギロチンもある。ベトナム戦争の時も使ったのかな。途中、アメリカ人らしい団体さんがはいってくるが、ベトナム人ガイドも特に「アメリカは反省しる」みたいな事は言ってない様子。 ![]() 日も陰ってきたのでダラダラと歩いてホテルに帰ることに。収容所の道はさんで向かい側にハノイ逆十字病院発見。病院前に物売り(たぶん見舞客用)がいっぱいいるのが印象的。ギプスはめた奴が路上でビールとか飲んでる。いいのか? ![]() 床屋街を通ると、理容師のオバチャンから「髪のびてるよ、切ってきな」みたいな客引きをされる。いっかいホテル行って荷物おいてからこよう。
その後、長官はベトナム名物のエステに。エステって何するところかよくわからんが。俺も一緒に資生堂までつれていくというか警護というか。ま、ホテルの真向かいなんだが。資生堂の中は軍事基地並に厳重。中で女性が服脱いだりとかするからだろうな〜。 俺も奥のシキリのある所からむこうには入れない。そもそも正面のドアから入った瞬間に全店員と客(全部女性)が俺を白い目でニラむ。門番は男なんだが完全に犬(室外犬)と同等に扱われている。ものすごく強烈な「男は入ってくんじゃねーよ」オーラに完全に打ちひしがれ、長官を残し退散。
さーて俺も床屋行ってくるかな〜。しかしさっきの床屋街まではちと距離がある。行くのダリーなーと考えてると路上の床屋に声をかけられる。めんどくさいからコレでいいや。街路樹に鏡かけて、その前のパイプイスに座るだけの簡単設計。カミソリは使い捨てなので安心。30分くらいで終了。5000ドン。昭和30年代のサラリーマンのようなイキな髪形にされる。ゲッツ板谷が書いてたような耳マッサージとかはなかったな〜。ごくフツーの床屋。切りおとした髪がチクチク刺さるのでホテル帰ってからシャワーをあびる。
部屋でくつろいでいると資生堂から「終わったから迎えにこい」と電話がはいる。閉店時間が近く、店員の拒絶オーラも若干弱くなっている店内で待機していると、こざっぱりした長官が現れる。「いや〜よかった。キミもやればよかったのに」だからここは女性専用なんだって。そもそも俺がスキンケアとかしてどうする。フェイスマッサージとかパックとかセットで50万ドン。 ![]() その後レストランでハト食ったりカキ氷食ったりしてるうちに帰国の時間となり、タクシーでハイウエイを通り空港に。ハイウエイもカブカブカブ。なんか自転車やリヤカーまで見えるのは気のせいか。 ![]() ノイバイ国際空港は改築したばかりらしく、広くてきれい。地元民がシート広げて家族で食事したりして和やかな雰囲気。出国税払ってチェックイン。さて、我々が乗る成田行きのとなりのカウンターがソウル行きだったのだが、この乗客が絶対待たない。カウンターはまだ開いていなく、カウンターの手前に「ここでお待ち下さい」と仕切りがしてあった(成田・ソウル共通)のだが、そこをばんばん乗り越えてカウンターの前に自分の荷物を置きに行く。最初のうちは、人間自体はいちおう「お待ち下さい」の仕切りの手前で待っていたんだが、誰かが一人カウンターに並びだすと(もちろんカウンターはまだ開いてない)堤防が決壊したみたいにカウンター前に勝手に並びだす。スタッフが「戻れ」と言っても誰一人絶対戻らない。この時、一番前にちゃんと並んでいたヨーロッパ人老夫婦がいたのだが、ヨメの方が「私たちはちゃんと並んでいたのにあいつらは何なのウギャー」と発狂していた(ヨーロッパ人は列に割り込まれると発狂する)。まあそのヨーロッパ人夫婦は実は成田行きで、成田行きの乗客はずっとキチンと仕切りの前に並んでおり、結局問題はなかったのだが、「列を乱すヤツが存在する」ということ自体が許せないらしく、その後もダンナに対しグチグチプンスカ怒り続けていた。
では、そろそろ飛行機が来たようなので、今回はここまで。 次回は2年ぶりのヨーロッパ変。
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