my LIFE as HERMIT


金ちゃんのドンと行ってみよう!変(ベトナム その4)」

(文中1円=144ドン 1000ドン=約7円)

 

サパ〜コックリー〜紅河〜ラオカイ

 

ガイドが朝からお出迎え。7時くらいに起こされるが、昨日は早く寝てしまったので目覚めよく起きれる(ちなみに日本での俺の通常起床時間は午前8時以降である)。本日の予定はコックリーのマーケット行って紅河下り、その後ラオカイ駅に向かう。

 

来るとき同様雨の中のガタガタ道を進んでいくが、とちゅうけっこうものすごいぬかるみが転々とあり、ハマッたらみんなで出て車を押さなければいけないくらいの勢いだ。道路建設中につきヒュンダイトラックが行き交う。来るときに作ってた道の一部がもう舗装にはいってたりして、わりと工事スピードは速い。

 

絶賛工事中

 

いっかいラオカイを通って、またケツが割れそうになりながらまず本日の第一目標地点、コックリーに到着。バックハーよりも規模がやや小さいが、そこが高校の文化祭っぽくて良。ここでも花モン族多し。1000ドンの屋台アイスクリームを買う。うまし。旅疲れでどーも食欲がなく、朝メシは食ってなかったので丁度よかった。花モンの刺繍がはいった肩から下げるポーチみたいのを買う。50万ドン。値切り不可能だったがいろいろアクセサリーとかオマケをつけてくれた。ポーチもアクセもどーみても女子用。つか花モン用。あと日用品とか中国製のラジカセとか。長官もなんか光るものを購入。ボーッと歩いてると、売り子に「アジノモト、アジノモト」と声をかけられる。「お前らの国で作られた工業製品はこんな田舎にまで売ってるぞ、誇れ」と解釈する。まさか買えってワケじゃあるまい。その後ガイドに「買ったポーチはしまっておくこと。ここで何か買ったことが他の売り子に知られると、ワラワラと売り子にまとわりつかれてタイヘンなことになる」と注意をうける。

 

コックリー市場

 

さて、このコックリーマーケットに隣接して、船着き場があるのだ。しばしの船待ちの後、本日のメイン・イベント、紅河クルーズである。ガイド「もう一組の客が遅れているようです、先に船に乗ってて下さい」言われた通りさらに船の中でさらに待つ。しばらくすると何かに追われるように「もう一組の客」があらわれる。日本人奥様(30前後か)二人組だ。ん・・・その奥様方の後ろに、なぜ花モンがワラワラといる? つか船に乗りこんできたんだが。手にいっぱいみやげ物持って。

俺「この船には花モンの人も乗っていくんですか?」

ガイド「いえ、ちょっとトラブルがあったようで」

ワラワラとまとわりつかれてしまったようす。花モンのオバチャンが奥様に「なんであたしからは買わないんだよ!」みたいなことを早口でまくしたてている。その後ろにいる娘みたいな花モンは「お母さん、恥ずかしいよ、やめようよ」みたいな目でオバチャンをじっと見ている。が、誰にも止められない。

 

苦笑するベトナム人

 

その後30分ほど船上で花モンの呪詛を聞いていたが、我慢の限界超えたガイドと船操舵手が「さ、オバチャンもういいだろ」と力ずくでワイプアウト。さらに激しくなる呪詛。ガイド「早く船出して!」やっと船着き場を離れる船。岸では若い花モンが興奮したオバチャンをとりおさえているが、手を離したら泳いでやってくるだろうなあ。怖。

オバチャンはその後もずーっと船に向かって呪詛を唱えつづけていた。そのうち距離が離れてだんだん聞こえなくなっていった。

オバチャン「えええ腹立たしいこのど腐れ日本人が金余ってるんだったらここで気前よく使っていけっつんだよソレだからいつまでもアジアで憎まれてるんだよお前らの悪行は未来永劫消えないよお前らなんざとっとと中国人に煮て食われてしまえばいいんだそうそう今思い出したがあたしゃ従軍慰安婦だったに違いないね謝罪しろゴルァ金払え金よこせお前らの船など沈んでしまえ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね・・・・・・(訳は全て予想)」

 

というさわやかなやりとりのあと、船は無事クルーズに出発。船は「どうでしょう」のマレーシアに出てきた奴とおなじ、こっぱ船の後方にエンジンのついてるやつ。途中奥様が「行くときの駅であなたたち見かけたんですよ、いっしょのツアーだとは思わなかったなあ」と声をかけてくる。俺「そうですか」会話終了。

 

どうだあ〜い藤村くう〜ん

 

水遊びをしている水牛などを見ながらゆったり船旅を楽しむ。いかにも「中国の雲南省あたり」みたいな風景もあったりする。こりゃあケツも痛くならないしいいなあ。移動は全部船でやってほしいもんだ。途中、昼メシをとるため川沿いの集落におじゃまする。一個目の集落は白人団体が酔っぱらってんだかなんだか大騒ぎしてアヅマシクナイので別のところで食うことにする。駄菓子屋みてえな店の外にイスとテーブルと屋根のあるところがあり、そこでランチ。・・どうもさっきから明らかにガイドではないベトナム人たち(10人くらい)が俺たちのまわりをウロウロしているなあ。またなんか物売りか? と思っていると、

 

水牛

 

ベトナム人「これ、落としましたよ」

俺「(バッグにぶらさげといた俺の北海道神宮のお守りだ・・なんか明らかに中開けたあとあるけど)あ、わざわざどうもありがとうございます」

ベトナム人「・・・・・・・」

 

この人たちもここでランチとるのかな、と思っていると

 

ガイド「お客さん、ヤバイですよ・・」

俺「え? 何? 俺何かした?」

ガイド「彼らは『誠意』が欲しいようです」

俺「・・・・・・ああ、金か。お守りはべつにそんな大事なモンでもなかったんだけど」

ガイド「私がちょっと払っておきましょうか」

俺「あ、いえ、いいですよ、そういうことなら自分で・・50000ドンくらい?」

ガイド「20000くらいでいいと思いますが」

 

言われて見るとうしろのベトナム人達はなんとなく険しい表情をしている。

 

俺「お前ら、我が大切なお守りをよくぞ見つけてくれた。褒美をとらす」

ベトナム人「サンキュー」

 

「ちょっと少ねえが、まいっか」みたいな感じで引き上げていくベトナム人。

でもホントにコレ「俺が落とした」のか疑問。まいっか。

 

ここでは食えなかった ふつうの民家

 

その後は平和にランチタイム。とうぜんのようにバインミー。ガイドがデザートのフルーツを剥いていると、一緒の日本人奥様の一人が「感動だわ〜ウチのダンナなんて、結婚以来ごはんの用意なんてしてくれたこと一回もないのよ」「ウチもよ〜」ダンナに小遣いあげればきっとごはんの用意くらいしてくれるよリーベンレン。

<この命題から予想される結論>噂通り旅先の日本人女は楽勝かもしんない

 

しばらくダラダラした後、ラオカイに向けて出発。またもや車。

途中、ガイドが「まだ列車出発まで時間もあるし、俺の家に寄って茶でも飲まないか」と言い出す。ビクトリアホテルのガイドだし問題ないと判断してお邪魔させていただく。

 

居間の正面にやはりホーチミンの写真。ロータスティーと水パイプをいただく。「ウチはガイド一家で、弟が運転手なんだ」みたいな話をする。ガイドの父親にいろいろ武勲を語っていただいた。がベトナム語なのでよくわからず。なんとなくベトナム戦争よりもその後の中国との戦争のほうに活躍してたっぽい。ここらへん中国との国境だしな〜。勲章がイパーイあった。「今は子供達が稼いでくれてるので平和に隠居ができるよ」みたいな感じ。シニフィエで。あといろいろカタコトで話す。ま、少なくともこの家では対日好感度は悪くないと思った。

 

尺八みてえなのがベトナム水パイプ

 

ガイドの家を後にして、ラオカイ到着。ハノイに向かう列車出発までまだ5時間くらいあるので、中国との国境に連れていってもらう。

 

俺「今、中国と日本仲悪いんですよね〜 反日デモとか起こってるし(H17.4月当時)」

ガイド「あ、そうなの? 知らなかった。でもベトナムと中国も仲悪いよ」

俺「そうなんだ。でも国境見ると平和そうですが」

ガイド「中国人、戦争でいっぱいベトナム人殺した。我々は忘れないね」

 

中国側国境 なんか電気街みたい

 

ラオカイ駅前のメシ屋で出発を待つ。

・・・なんかガイドが帰らない。

俺「・・・・・ありがとうございました」

ガイド「・・・・・・私はいいんですけどね。でも弟は今日ガタガタ道をずっと運転してたね。疲れただろうね」

俺「(コイツはどうしてこうまわりくどいんだ)ああ、チップね。じゃあ弟さんに50万ドン」

ガイド「私はチップなどは受け取らないよ。・・・・その額なら」

俺「ハイハイ、じゃあガイドさんには100万ドン」

ガイド「Have a nice trip!」

俺「Hen gap lai!」

 

夕方のラオカイ駅前 実は活気のあるとこだった

 

列車が着きました、と駅員から呼ばれる。

今度の部屋は・・・おお、しっかり二人部屋。

 

長官「よし」

 

夕食の食堂車で来たとき一緒だった国際逆十字の夫婦と隣り合わせる。軽く会釈。

 

さて、明日はハノイ、ベトナム最終日。

 

広い

 

つづく

 

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