my LIFE as HERMIT


金ちゃんのドンと行ってみよう!変(ベトナム その1)」

(文中1円=144ドン 1000ドン=約7円)

 

ハノイ〜夜行列車

 

今回の旅にあたり、我々はちと考え方を変えていこうと思う。今まではいっつも「ボラれた」だの「負けた」だのレッツネガティブシンキングであったが、それだと「次は値切ってやろう」とかばっかり考えてしまって旅に集中できない。したがって多少ボラれてても「御祝儀だ」と思うことにした。どーせドンは再両替できないから使いきらないと損だし。そうすれば我々も気持ちがよく旅を続行できるし、売り子も得、その国の経済も発展、とこれぞ三方一両得。したがって今回からのモノの値段は「御祝儀相場」であることを御了承。本来はもうちと安いハズです。あとタイトルの「金ちゃん」はジョンイルじゃなくてベトナムの多数民族「キン族」のことね。よく世界史の地図に中国の下に「金」て国があったでしょ。

 

ドン 札の肖像はどの額面も全部ホーチミン

 

さて、前回のブータン・ネパール変で「ガイドに空港まで迎えにきてもらう」という楽チンな方法に味をしめた我々は、今回もハノイ・ノイバイ空港まで現地ガイドに迎えにきてもらうことにした。ハノイはホーチミンに比べて安全らしいが、到着は現地時間で夜の11時くらいだったし、いちおう念のため。税関をくぐって到着ロビーに出るとさっそく「デス見沢様」と書かれたパネルをもった現地ガイドを長官が発見。ネパール・ブータンの時のガイドとは比べ物にならないほどカタコトの日本語で迎えられる。「両替。おけですか?ここ。車。こちです」ガイドと送迎の車に乗り込んでホテルに向かう。長官が髪をのばして束ねてたからか「ベトナム人みたーい」と言われる。

 

ガイド「私。ガイド。ホテルまで。明日。サパ(明日の目的地)。ガイド。違う人。ホテルの。今日。ベトナム。今初夏。サパちょと寒いかも。駅。出発一時間前まで。タクシーで。5分。ホテル。50000ドン。高い。ボラれます。注意」

俺「・・・あの、俺会話英語でも大丈夫ですよ」

ガイド「ああ。英語私ゼンゼンできません。ベトナム語と、日本語少しね」

俺「そうですか・・ガイドでそう、とういうことはタクシーなんかは」

ガイド「はい。ベトナム語で」

俺「『ガ(ga=駅)・ハノイ』でいいんですか」

ガイド「『トーイ(=I)・モーイ(=want)・ラ(←?)・ガ・ハノーイ』」

俺「『トーイ・モーイ・ラ・ガ・ハノーイ』」

ガイド「おけです」

 

ベトナム語文法全くわからんがとりあえず現地語マスターの基本は「現地人の言ってることをコピーすること」であるのでそのまま覚える。

ガイドにチェックインと帰りの便のリコンファームやってもらい、その日はそのまま寝る。部屋はけっこう上等。MTVはタイのらしい。

 

起きたら昼12時。ホテルの朝メシはとっくに終わってます。ベトナム初日にまずなすべき予定「長官のアオザイを作るためシルク屋に行って採寸してもらう」ため、ホテルのコンシェルジュ(ベトナムはもとフランスの植民地だったからか、フランス文化のなごりがいろいろ見られる)にいいシルク屋を紹介してもらう。「シルク屋ならこのホテル内にもありますよ」と言われいったんそこに行くが、オーダーメードはやってないのでハノイ旧市街にある本店に行け、と言われる。さあさっそく街の探険だ。

 

スキを見て渡るしかない 赤い横断幕は終戦30周年記念

 

タクシーを拾ってもらい、旧市街に。市街は「どうでしょう」で見た通りもうカブカブカブ。これでもまだ朝方なので交通量は少ないほうらしい。しかも信号が全然ない。帰り帰ってこれるかちょと心配だがまあイザとなればタクシーでも何でも使う心意気で。旧市街までメーターで30000ドン弱。良心的な値段だ。

 

シルク屋の中にはいる。が、店員がいない。

俺「シンローイ(すいませーん)」

どこからか店員が出てくる。ニコリともせず「あ、ホテルから紹介あった人ね。こっちにきて生地選んで」とそっけなく言われる。英語なんだがえらく聴き取りずらい。

長官「ここらへんから選べばいいのかな」

俺「そうなんじゃないの・・」

長官「あ、この生地でお願いします」

店員「これはアオザイ向きじゃないからダメ」

長官「・・・じゃあ、これ」

店員「これはディスプレイ用なのよ。他の」

長官「(俺に)どれにすればいいんだよ」

俺「俺もわかんねーよ」

 

紆余曲折を経て、結局無難な朱色系の生地にしたようだ。ズボンつーか下の方は白。その後採寸にはいる。採寸の間ヒマなので狭い店内でボーとする。途中、フランス人の母と息子と思われる二人連れが入店、母親が生地を選んだりしている間、息子もヒマそうだったが床にすわってゲームボーイアドバンスなどをしている。あー俺もなんか持って来りゃよかったか。

 

シルク屋はシルク屋でかたまっている

 

採寸終了。上下揃いで50ドル。思っていたより安い。5日後に出来るから取りに来いとの由。サパから帰ってくるあたりだからちょうどいい。店を出るとさっそくベトナム名物ジッポ売りが来る。ライター成田で没収されてしまったのでボラれるの覚悟で買ってみよう。「150000ドン」高えよ。高すぎ。いらん。「じゃあ100000ドン」うーん日本円で700円くらいか? そもそもジッポって日本でいくらだったっけ。1000円くらい? ならいいか。どーせニセモノだろうが購入。「もう一個いらんか」いらん。

値切り交渉してると、さまざまな物売りとかが続々とやってくる。指が二本、腕から直接生えた若い(15歳くらい)ジキコが来る。2000ドンやる。納得して去っていく。比較的若い女性(20前半くらいか?)のバナナ売りが写真撮れと言う。写真とったら金よこせと言うだろうなーと思うがまあ女性だからいいか。我々がてんびん棒持った写真もとってもらう。だんだん他の物売りもやってきたので足早にその場を立ち去る。あり、バナナ売り金請求しないのかな・・と思ってたらてんびん棒持って追いかけてきたね。2ドルとられた。バナナ一房つき。

 

さすがに最近は「アメリカ軍の落としていったジッポだ」とは言わない

 

そこらへんの店屋でサンダルも買う。「いやー日本人か。俺の息子も日本で働いてるんだよ。安くしてやる。二足で24ドル」安くねーよ! アオザイ50ドルなのになんでゴムサンダル二足で24ドルなんだよ! 値切りを・・あっ、そういえばいいものがあった。

 

♪パパラパッパパー「ニセ20ドル札〜」

 

ネパールで両替した時、1枚だけ日本の郵便局で両替を断られた20ドル札があったのだった。ボラれた時用にとっておいたのだが、こういう不吉なものはこういう時にさっさと使ってしまおう。怪しまれるといけないので値切らないでとっととズラかる。結局4ドルだ。

 

これだけでけっこう疲れたので近くのカフェで休憩。バインミー(バゲットのサンドイッチ)を食う。まあフツーのヨーロッパ諸国のパン並にうまい。ガイドブックには「パンがスバラシクうまい」と書いてるが、それは日本も含めたアジアの中では・・ということですね。日本でも今だったら探せばこのくらいのうまいパンはあるはず(日本でフツーに売ってるパンは甘すぎんだよ)。まあベトナムではどこで買ってもウマイということなんだろうが。長官はココナッツのジェラートを。長官「んまい」。昼時だったので隣のテーブルで従業員がつけもので白いメシを食っている。そっちのほうもうまそう。

 

ツナのバインミー ま、フツーの味でしたが

 

ホアン・キム湖沿いに歩いてホテルまで帰る。湖沿いは公園みたくなってて、フランスの影響かイチャイチャしてる男女カップルが多い。そしてもっと目立つのが「女同士」のカップル。インド圏やイランでは男同士が手をつないだりなんかイチャイチャしてるのが目立ったが(ホモというわけではないという話だが俺は怪しいと思う)、ベトナムではそれを女同士でやってる。とりあえず手はみんなつないでる。これもフランスの影響かなんかか? ハノイ駅前通りを「レズアン通り」って言うしな・・(たぶん関係ない)。男同士ではあまり出歩いてない。つか全体的に観光客含めて男少ない。ハノイってあんま男の来る町ではないんかな。

 

その後もホテル近くのカフェで昼ビールしながらダラダラする。

長官「今日の予定は?」

俺「んーと夜10時ハノイ駅発の夜行列車でとりあえずラオカイに行く」

長官「シャワーとか今のうちはいっといたほうがいいのかな?」

俺「『豪華コンパートメント』って書いてあるから、シャワーとかついてんじゃない?」

長官「そうなんだ。ふーん楽しみ。列車の旅なんて修学旅行以来だよ。あの狭い一番上のベッド、嫌だったなあ。今回はそういうんじゃないんでしょ?」

俺「たぶんね」

 

一時間前までに駅集合(そこからツアーになっている)としてもまだまだゼンゼン時間があるのでホテルの一階のバーで時間をつぶす。するとピアノの音が・・・・むっ。これはジャズ? 30歳前後のピアノ・ベース・アルトのドラム無しトリオで「黒いオルフェ」「ベサメムーチョ」「ブルーボッサ」などの営業系スタンダード。ドラムいないのにラテンやんの? でもピアノはなかなかうまい。アルトはちと走り気味。ベースはふつう。レベル的には、ピアノが本田竹廣あたり。このホテルはハノイでもトップクラスのホテルだから、ベトナムのジャズ・レベルは日本くらいではないかと類推。そーいえばドイツでも似たような演目でジャズやってたな。アメリカと戦ったとこってジャズが発達する? CIAにジャズ局かなんかがあんのか。知らない間にジャズ爆弾でジャズに洗脳されてるとか? するってーと次はイラクでジャズが発達すんのか。平和な話だからいいか。

 

なかなか良かったが、時間が来たのでおいとまする。去るときにピアノの奴から軽く目礼される。「アルトはいるの早いよ」って言ってたのでバレたんかな。日本語だったんだけどだいたいわかるか。

 

ホテルからタクシーでハノイ駅に向かう。うむ、メーターで走っているな。よしよし。・・と思っていると、駅についたと同時にエンジンを切る。メーターの電源も切れる。むむ? 運転手はさっさと降りてトランクから荷物を出している。50000ドン渡すと「100000ドンだ」と言われる。むうー油断してると早速来やがったか・・く、メーターで清算しろ、というベトナム語が出てこない・・まあ深夜料金だと思えばいいか・・と払うと「もう50000ドンくんない?」「ダメだ」「くれよ」モメてると人がワラワラ集まってくる。ヤバそうな感じがし(人が集まってくるとヤバイという話)、列車に間に合わなくなってもヤなので結局150000ドン払った。くそー油断したー! 

 

旅の重要ベトナム語講座

 

メーターで計算して下さい

Xin tinh tien theo dong ho.

シン ティン ティエン テオ ドン ホー

 

覚え方:

Xinは「プリーズ」、tinh tienは「お勘定」なのでtheo dong hoだけでも通じる。

「メーターで行かないとテポドン砲落とすぞゴルァ」
          theo dong ho

 

駅につくと「サパ行きの方ですね。こちらにどうぞ」と係員らしき奴に荷物を持っていかれる。不安はあったがサバのホテルの名札つけてたので信用して預ける。駅のフツーの待合室に連れていかれる。微妙に不安。

10分も待っていると「お待たせいたしました、サパ行きの皆様、出発です」と言われ、改札を抜けプラットホームに出る。この時点で出発予定時間の1時間前。真っ暗なプラットホームに連れていかれるが、他の欧米人旅行者(家族連れ多し)もいるから大丈夫かな。しかし車両は見当たらない。プラットホームの番号以外なんの表示もナシ。俺はインドのジャンク・エキスプレスみたいのだったらどうしよう(ねこぢる旅行記参照)とまで考えていたが、長官は「豪華コンパートメントの旅なんて初めて、楽しみだなあ」と言っている。

 

表示こんだけ 首都の駅なのに・・

 

車両到着。二人だったので、いちばん先に車内に案内される。お、いちおう個室じゃん・・でも二段ベッドが左右に二組の4人部屋。つかドアがなければふつうの寝台車。シャワーなどありません。

俺「いちおう個室だが・・ここを俺たち二人で使うのかなあ。ベッド4つあるけど」

長官「個室だって言うんだから、そうなんじゃない? プライバシーにうるさい欧米人もいるし、相部屋ってこたーないんじゃないの」

俺「だよな・・」

 

途中何度か連結のために動くが、まだ列車は出発していない。

下着だけになってリラクスしているとドアがノックされる。

乗務員with欧米人女二人組「お客様すいません、こちらのベッドのお客様がお見えに」

欧米人女二人組「(英語で乗務員に)何、男がいるじゃない! 相部屋なんて嫌よ」

去っていく。

長官「ホラね」

俺「うーん、でもなんか心配ではあるが・・」

 

ドアがノック。

欧米人男二人組「ここ俺たちの部屋だと言われたんだけど・・」

俺「あ、それ違う車両だよ(知らんけど)」

去っていく。

俺「出発するまではちと不安だなあ(実は相部屋かもしれないと知られた時の長官の怒りが)・・とりあえず鍵かけて部屋を死守しよう。ノックされても無視の方向で」

長官「よし」

 

死守していると列車が本格的に出発する。

俺「やったー! 死守成功!」

長官「よし これでリラクスできるかな」

中央の通路にある机を出して明日の予定などを確認する。

 

出発後15分くらいたったころノック。

乗務員「こちらの席の方がお見えになりました」

側に俺たちくらいの年の欧米人夫婦がいる。

俺「・・・ここは4人部屋の二人使用ではないんですか?」

乗務員「チケットを拝見・・これは4人の部屋のチケットです。あなたたちのベッドはこっちの一方だけ。荷物を移してください」

俺「(欧米人夫婦に)あなたたちは相部屋でもいいの?」

夫「あなたたちがよければ」

見る間に不機嫌な表情になっていく長官。

俺「(乗務員に)今から二人の部屋に移れないかな?」

乗務員「無理です(キッパリ)。さあ荷物を移して」

俺「やっぱ相部屋だって・・・」

長官「え〜? おいおいそう簡単に引き下がるなよ! もっと粘れ」

俺「(乗務員に)他のベッドはもう満杯なの?」

乗務員「はい。ここが最後のベッドです」

俺「ダメみたい・・」

長官「え〜?!(怒)」

俺「・・・キミ、上のベッドで寝る?」

長官「ハア? 何言ってんだお前?!(激怒)

俺「・・ですよね・・俺が上で寝させていただきます・・・」

 

欧米人夫婦は荷物を置くと、気まずい雰囲気を察知してか食堂車に避難。

長官「だいたい『コンパートメント』ってのは『個室』って意味じゃねーの? こういうのは単なる『寝台』って言うんだよ」

俺「俺もそういう意味で旅行会社に予約したんだけどねえ・・」

長官「あの夫婦も欧米人なんだから『相部屋なんて絶対お断りだ』って言えばいいんだよ」

俺「いや、もうホントにベッドないみたいだし・・」

長官「今からあの夫婦に『俺はレイプ魔だがそれでも本当に相部屋でいいのか』って言ってきてよ」

俺「俺が捕まるって」

 

その後もしばらく下のベッドから呪詛が続いていたのは言うまでもない。

 

そのうちに寝てしまった。クーラーでノドがかわいたので下の机においてある水をとろうと、チラと下のベッドを見ると

長官「(目をらんらんと開けている)何?!

俺「いや、水を・・(怖え〜)」

 

いちおうカギはかかる が、意味なし

 

銀河統一鉄道999

次はラオカイ ラオカイに停まります

 

つづく

 

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