テヘラン:旧アメリカ大使館周辺 さて、イラン変も一年くらいほったらかしにしている間に、隣のイラクもグチャグチャにされ、アメリカ様の対イラン政策も怪しくなってきたようだ。さてイランにはどういう言いがかりをつけて攻め込んでくるか、は今後の楽しみで、まあ平和だったころのイランはこんな感じだった、という記録ということで。今回で一応イラン変終了。
でまあ、せっかくイランに行ったんだから、やっぱちょっと物騒なところ行ってみよう。と、今日は全てのガイトブックに「イランで最も近寄ってはいけない場所」と記されている旧アメリカ大使館に行くことに決定。 そもそも、なんで今アメリカとイランが仲悪いのかというのは、全てここから始まってるワケで。1980年の革命以前のイランってのは、アメリカマンセーで性風俗乱れまくり薬物はやりまくり個人主義履き違えて家族崩壊のまるで今の日本みたいな状況だった。まあ別に俺はそれでもゼンゼンオッケーとは思うんだが、「この風潮はいかん、もっと自分の國の歴史を愛し固有の文化を」とか小林よしのりみたいなこと言い出す奴が出てきて、国民も「そうだそうだ」と思い革命へ。でもまあアメリカがいい金ヅルである産油国の属国をだまって独立させるはずもなく、表立った戦争とまではいかないが、(たぶん大使館経由で)CIAとか使って独立妨害してたんだが、バレてしまいアメリカ大使館占拠された。で、世界が注目してる中、当然米軍が勇ましく大使館員救助に行くわけだがこれが大失敗で死者イパーイ。そして革命成功。
でも、国際法的には大使館の敷地はその大使館の国の領土、みたいな感じであり、さらにホントは大使館のっとりは戦争ルール違反で、イランの不法な「侵略」ということになる。でも国際法って違反したところで罰則ないっスから。ということでこの戦いは領土奪ったイランの勝ち。ではあるが、アメリカ大使館のあとになんかイランの国の建物とかたててもいつかアメリカに爆破されるに決まってるし、いずれはまたアメリカと仲良くしたいなーやっぱアメリカ抜きで国際経済には参加できないしーみたいなことも考えてんので(たぶん)、この土地は未だに「旧アメリカ大使館」のママなのである。
で、タクシーで旧アメリカ大使館に向かう。着いてみると、まわりには兵士がいっぱい。 さて写真でもとるか。(注:良い子は決して真似しないで下さい) と、デジカメを気付かれないように構えて近づいた一秒後、門の上からいきなり銃をかまえた兵士が出てきてこんにちわ。 「お前何やっとんじゃゴルァ!(ペルシャ語) そのカメラよこさんかい!」
というわけで、アメリカ大使館の写真はありません。 あそこ、たぶん周囲ビデオカメラかなんかで24時間監視してますね。 タイーホされるかな、と思ったら、説教ですみました(カメラも返してくれた)。 日本人だからだろうなあ。あと、隣に長官がいたってのも大きいか・・ 猛省いたしております。もうしません。
猛省したところで腹が減ったので、メシ屋を探す。近くにいたオヤジに「ここが美味い」と言われて「Zee Zee」というレストランに。この店、テヘランでは有名な店らしく(ガイドブックにも載ってる)、店内は客でいっぱい。メニューはなし。注文できるのは「アーブ・グーシュト」一品のみ。ナンおかわり自由、ラッシー付きで1000リエルくらい。ラディッシュの葉っぱ(赤いカブみたいな部分はなぜかナシ)が大量に付けあわせとしてでてくる。カレーとボルシチの中間のような味。んまい。が、最初にオヤジが食い方の指導をしてくれ(ナンは最初からちぎって入れれ、スープは別の皿にとってナンにひたせ、など)、昔のアジャンタ(札幌のスープカレーの元祖)のオヤジのウザさを思いだした。俺の好きなように食わしてくれ。 さて、腹もいっぱいになったし、バザールでも行くか(もう学会のことすっかり忘れてる)。 バザールでブラブラしてると、突然日本語で声をかけられる。「あれ、あなた、日本人かい?」 「そうですが」と答えると、 「あらー珍しいバザールで日本人なんて初めてみたわよいやね私は昔日本に住んでたのよ前のダンナが日本人でねそれで今ノルウェーに住んでるんだけどまあー珍しいわねーあっこれ私の娘ねハーフなのよあれやだ私話とまんないねなんかひさしぶりに日本人見たから嬉しくってAAA・・・(以下英語と日本語とペルシャ語とノルウェー語がごっちゃになりつつも15分ほどマシンガントークが続く)」 そうしてるうちに、この親子と仲良くなり世間話などしてたのであるが、実はこのおかんは今ノルウェーで心理カウンセラーをやっているらしい。この学会に来たのかと思って聞いてみると、そんな学会知らなかった、と言う。「世界の任意の場所で全く面識のない同(類)業者に声をかけられる確率」というのはどのくらいであらうか。俺の職業を言うと、むこうもびっくりしていた。 その後、俺・長官・この親子で引き続き買い物などをする。途中、金がなくなってきたので、ここらへんに両替するところはないか、と俺が聞くと「AAAAそんなの私にまーかせなさいよ私はここらへんにいいレートで両替してくれるアラブ人の闇両替知ってるから」闇かよ! と思ったがまあ現地の人の案内だから、と思いアラブ人街に行く。怖え。アラブのみなさんめっちゃこちらを睨んでらっしゃる。両替屋にはいるとザ・シークを100倍程凶悪にした人相のアラブ人店主が奥から登場。「ちょっと最初に私が話つけてくるから」と何やら交渉にはいる。しばらく話していた後、「日本円なら一万円からだって」と言われる。大丈夫か。しかも「この大将にもメンツがあるとか言ってるから両替ことわんないほうがいいみたい」などとわけのわからない事を言われる。なんじゃそりゃー。ここで乱闘とかしたら店の外にいるアラブ人1000人くらいいっぺんに襲いかかってくるかな、とか考える。まあドルだったらニセドルかもしれんが、イラン・リエルならニセはないだろう、と思って一万円を両替。60万リアルをキッチリ渡される。フツーだ。損も得もしてない。
あと「俺きのうアフガニーって子供に言われたんですけど」という話をする。「あーなるほどねー」と言われる。なるほどなのか。「でもアフガニーそんないいカバンもってないよ」「本当のアフガニーは夜になると出てくるよ。スリ強盗かっぱらい殺人なんでもやるよ。怖いよー」と言われる。あ、アフガンってイランにとってはそういうイメージなんだ。もうアフガニーはもう野蛮で貧乏で田舎者で無教養でどーしようもない、みたいな話をされる。日本で言うと不法滞在の中国人みたいな感じか。
別れ際、「ヨーロッパに住んでるなら」ということで、俺の所属するヨーロッパ芸術療法学会の入会をすすめる。次の学会開催地はスペイン。「絶対行く」と言っていたので、この続きは2003年9月のスペインで。あと「ノルウェーにも遊びにおいで」と言われたので、ノルウェーにも行くかもしれません。 ![]() |