昭和20年8月1日 満州国哈爾浜(ハルビン)
…二週間で帰るのは無理だったなあ、やっぱり。経理学校1ヶ月、予備役1ヶ月あったし…ってもこれ、軍人養成するにはムチャクチャ短いけど。あ、経理学校ってのは、俺は結核なんで当然丙種合格(丙種はフツーは兵役免除なんだけど、戦争末期でもう一億火の車なんで出征。あ、火の玉だったっけ)で、前線は無理なんで経理。まあ死ぬ確率は一見少ないけど、俺、銃の撃ち方知らないんだよなあ。敵来たらどうすべえ。予備役で何やってたかって? 博打。あと楽器の練習。いや、習った覚えはあるんだが全部忘れたと言ったほうが正しいか。まあ戦争末期の予科練だからこんなもんでいいんだよ。マジで戦闘やる気なんてサラサラないし。
「おう、デス見沢、飲みに行くぞ飲みに」 「まだ今日の帳簿つけ終わってないが…ああ、行こう行こう」 実は、戦闘する気がサラサラないってのは、ここ満州国では日本人全員に言えることだった。食料は内地(日本本土)よりずっと豊富にあるし、戦闘はカケラもない。日本ってホントに今戦争やってんだろうか。7月16日付けでここに来たが、2週間で5キロ太っちまったよ。戦場に来て太るかフツー? 俺の神経が太いのかなあ?
まあ、こういうふうに毎晩飲みに歩いてれば太るのも当然か。哈爾浜市内には日本人向けの料亭だの居酒屋だのがいっぱいあるし。平和だネエ。…え、毎日そんなに飲んで酒代はどっから来てるのかって? 馬鹿野郎交際費だよ交際費。交際費を経費で落とすのは日本の常識だろーが。恐れ多くも天皇陛下の軍隊だぞ俺たちわ。まあ使える金は使えるうちに使っとかねーとな。。あとこうして日本の金を外国にバラまくことで途上国の発展にも…ならねーか。満州だもんな。どーせ戦争負けたら全部無くなんだろーけど、ここはソ連になんのか、中国になんのか。 「あ、おねーちゃん、ホッケの開きと、アジとニシンと、瓶ビール2本ね。…ところでデス見沢、日本は勝つよなあ」 「(何をわけのわからないことを…)ああ、当然勝つに決まってるじゃん。だって日本が負けてたらこんなに平和で酒飲めてる筈がないだろ。あ、俺は酒飲めないからウーロン茶ね」 「ウーロン茶…ありそうでなさそうだよなあ。満州でウーロン茶なあ…」 「まあ深く考えんなよ。で、いきなりどうしたんだ、バリバリ愛国主義者のお前がそういう事言い出すとは」 「いや、俺、東京なんだけど、家族の手紙が最近ぜんぜん来なくなったんだよな…」 「検閲でもされてんだろ。ウカツな事書いて」 「だったらいいんだけどな。俺の家族が検閲にかかるようなこと書くわけがないと思うんだが…」 「まあ気にするな。なるようにしかならねーって」
ヤベエな。東京やられたか。そういえば新型爆弾がどうのこうのって言ってたなあ。さすがに満州に来てからは共産党アングラネットは使えないから、戦局の情報がサッパリわからんぜ。まあ今月中に降服か…。あ。ソ連。忘れてた。ソ連何やってんだろ。ドイツはもう降伏したってのに。ソ連はもう力尽きて戦争やんないのかなあ。いやいや、それはないだろう。ソ連が攻めてくるのでなければ、何しに俺たちがここにいるのかわからんし。 「あ、デス見沢、なんか俺酔ってきた。ちょっとトイレ」 「おう」
「ドゥブルニードゥブルイー」 …? 「ダー・デスミサワ・タワリーシチ?」 どこだ? 「コミンテルン(世界共産党同盟)か?」 「ダー。ロシア語下手に書くと間違い指摘されまくるので以下日本語で言うあるよ」 「『あるよ』はロシア人と違うあるよ」 「ワタシ漢人のコミンテルンあるね。だからこれでいいあるよ。そんなことどうでもいいよろし。スターリンは8/7に満州進出決めたある。関東軍の上層部はもう既にこのこと知ってるあるよ。だから同志デス見沢にもこの情報流してもいいとの本部の決定あるね。まあ日本にとって満州は既にどうでもいい所になってるある。以上報告おわり」
「…あーよく放尿した。…あれ、誰かここに他に今までいたのか」 「いや別に」 「そうか。ここ最近抗日分子の動きもハデだからなあ。気をつけろよ」 「おう。…なんかちょっと気分悪いな。熱が出てきた。マラリアかもしれん」 「満州でマラリア? ありそうななさそうな…夏風邪じゃねーの? まあ今日は早めに切り上げるか」
8/7か! すぐじゃん! 急だよ! もっと早めに言ってくれないと! 実は俺が毎晩飲み歩いていたのは、こういうコミンテルンからの情報をキャッチするためでもあったのだ。コミンテルン本部には俺が哈爾浜に行くことを電子メール、じゃなくてアングラ電報で伝えてあるしな。顔写真も本部にあるから俺が誰だかはわかったはずだ。 さて。 どうしよう。 (1)ソ連軍が攻めてきた時に真っ先に投降する。 ソ連軍は大雑把だからなあ。問答無用で部隊全部殲滅されそうだなあ。それに捕虜になったら当分日本に帰ってこれないし。 (2)脱走する。 いかに平和な満州方面部隊でも、これやったら一発で銃殺だろう。そもそも帰る船をどうする。密航してもなあ。いつ日本が降服するかわかんないし、降服する前に国内で見つかったらつかまるしなあ。 (3)上官に「8/7にソ連が攻めてくるので逃げましょう」と言う。 無理だ。だいたい何で一経理係の俺がそんなこと知ってるのだ。スパイ扱いで死刑。
うーん。何かいいとんちはないか。ポクポクポク…
昭和20年8月9日 北海道某市 「『本日8月9日、ソ連は日本に宣戦布告』。ありゃ。デス見沢さん、大丈夫かなあ。もう2週間なんてとっくに過ぎてるし。まあ大丈夫だと思うけど…」 「ただいまー。あー疲れた」 「あ、お帰りー。遅かったねえ」 「ああ、ちょっと帰るのに手間取ってなあ。はいこれおみやげの米20キロ、サケ・カニ・バター缶詰多量、衣類、その他もろもろ。あー重かった」 「あのねえ、新聞で、今日ソ連が宣戦布告だって」 「あ、二日遅れたんだ。まあちょうどいいや。宣戦布告されてからじゃあたぶん船とか満員になって乗れなくなるだろーし」 「なんで遅くなったの?」 「…あのなあ。普通はここでは『どうやって帰ってこれたの』って聞くもんだ」 「ああ、そうなんだ。よくわかんないや」 「まあいいか。ハハハ」 「アハハハ」
ちなみにこの後日本は8/15日に降伏。デス見沢のいた哈爾浜の部隊は8/9、ソ連軍と果敢に戦闘し、全滅。
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