秋の定期訓練編(その1) 10月になり富士の裾野へ定期訓練に行くことになった。9月くらいから射撃予習という訓練を行う。射撃予習とは実際に弾はいれずに射撃を想定した訓練のこと。すなわち通常射撃は伏射で行うが、その姿勢を訓練する。例えばあしは80度くらい開かなくてはいけないとか、肩のどのあたりに銃尾をつけなければいけないかとか。64式小銃という銃だったが三脚があったので比較的楽だったと思う。今はM16になってるのかな。いつかはM 16に全ての銃を替えると聞いたが。64式小銃は自動小銃で丸いねじがあって「あ」「た」「れ」と書いてある。「あ」は安全装置のこと、「た 」は単発のこと、「れ」は連発のことである。射撃予習では銃の分解結合なども何時間もかけて行う。銃の各部品にも名称がついていてその名前も覚えなければならない。訓練の授業では最後に筆記試験もあって合格しないと留年である。あとおもしろい授業として近代日本戦争史という授業もあってこれも落ちると留年する。この授業は居眠りをしても留年する。
訓練の日がやってきた。その日がけ崩れがあり大学までバスがくることができず横須賀市まで銃をもって衣のうをかついで行進してバス乗り場までいった。バスにのり富士の基地に着いた。富士山が青々とそびえたっていた。その周りにはすすきでいっぱいだった。なんと殺風景な景色。こんなにさみしい景色は今までみたことがない。人家もない。もちろん動物もいなかったような。
秋の定期訓練編(その2) 富士山を裾野で訓練が始まった.始めは地図を読み地雷を避け目的地をめざすオリエンテーリング。私が班長だった。道は舗装されておらず砂利道。しかも地図上ではそこに地雷があるという。しかたなくススキのいっぱいの藪を行くことにした。しかし地雷源をすぎても藪を行っていたため訓練担当指導教官が切れてしまった。藪で体中引っ付きむしだらけになった。だがわたしは地雷を踏むとその時点から目的地まで銃をもって駆け足させられるのでそれを心配してずっと藪をいったのだが。1時間ちかく藪を行ったためみんな切れてしまった。ようやく6時間後目的地についた。
夜営をするためテントを張った。テントを張るのは比較的たやすかったが、あとその周りに側溝を掘るのが大変だった。30cmくらい掘っただろうか.この溝はもし雨が降るとテントの中に水がはいってこないようにするものだった。何時間もかけて溝を掘り続けた。
その日の早朝非常呼集があった。確か5時くらいだったか.わたしはまたも副班長だった。3大隊の旗をもたなければならなかった。人員を掌握し「3大隊、総員×名、事故なし、現在員×名」と大隊の主席指導教官に敬礼し、報告しなければならなかった。そのあと真っ暗のなかみんなで走った.ハイポートといって銃を胸にしっかりもって走る.「いっち、いっち、いっち、に、そーっれ、いっち、いっち、いっち、に、そーっれ、歩調とーっれ、いちハイにハイさんハイいち、に、さん、し、いち、に、さん、し」という掛け声をみんなで順番にかけあいながら歩調をあわせて走る.私は女だし体力なかったので5分くらいしかみんなについていくことができなかった。旗と銃を誰かにわたし、なんとかついていくのが精一杯だった。それでもついていけないと両脇をかかえて走ってもらった.
1時間くらい走っただろうか、ようやく引き返し地点につき引き返しもとの場所にもどってきた。私はパニック状態で他所の斑がおんなじところをぐるぐる回っているのについてぐるぐる回っていた.訓練担当指導教官がまたも切れ「班長、止めろ」怒鳴った.私もようやく「分隊、止まれ」と命令しようやく分隊をとめた。他所の斑はなんかだれかが銃の部品を無くしていてそれで罰で走らされていたらしい。何度も訓練担当指導教官から「班,長が遅れてどうする。わたしに着いて来いっていってついてこさせるようじゃないとだめだ。銃はどうした?もし戦場で銃がなかったらどうやって自分を守るんだ.最後にまもってくれるのはこの銃だけなんだぞ。」っていわれつづけた。最もなことだがわたしにはどうがんばっても無理な注文だった。
秋の定期訓練(その3) 実弾射撃 とうとう実弾射撃の訓練の日がやってきた. また両脇にかれすすきがいっぱいの砂利道を銃を抱えてひたすら30分駆け足した。射撃場についた。腰には弾帯がついていて銃剣と弾のうがつるされている。弾の入った弾倉を手渡された。各射座に分かれ順番に撃つ. すざましい爆裂音だ。とてもじゃないけど人の声がよほど大きな声をださないと聞き取れない.
自分の番がまわってきた。衝撃がすごいので鎖骨のあたりにタオルをいれる人もいたがわたしはめんどうだったので入れなかった.耳に耳栓をした。ほんとうは200メートルの標的だが初めてということで100メートルで撃つことになった。指導官が「射撃用意、撃て」というと自分も同じことを復唱しなければならない。三脚を立て、肩に銃尾をしっかりあて照準をにらんだ。照準はオープンサイトになっていてスコープもなにもついてない。山のかたちの真中部分にはるかかなたの黒い人影をあわせるだけ。「一発、二発・・・十発」と叫びながら撃つ.十発撃ち終わる頃には心臓が爆音でどきどきした。こんなにすざましい威力なのかと思った.薬きょうを1つたりともなくしてはいけないので薬きょう網というものがあって次の順番のものがそれをスライド部分にあて薬きょうを回収する。実弾も見たが38口径だったかな。やっぱり実弾は残身が大切だなって思った.引き金を引いた時とねらいをつけたとき照準が動いてなければなかなか高得点をねらえるようだった。私は99点だった。まあ200メートルを100メートルで撃ってるのだから当然だが。撃ち終わったあと、かなり頭の中をさまざまな考えがよぎった。戦争とはこれほど人を興奮状態にさせてしまう。とくにこの爆裂音のなかでは。例え戦争になってもこの銃をつかいたくないなって思った.自動小銃の所持は銃刀法で規制されていて一般の人は撃てない。自衛官にだけ許された特権のようなもの。単発と連発では単発のほうが精度がよかった。膝に銃を固定して連発で撃つのは数撃てば当たるがはずれるのもはなはだしかった。
秋の定期訓練(歩哨編) みなさんは歩哨というものをごぞんじでしょうか。歩哨とは夜衛のこと。深夜交替で見張りをすること。歩哨は特別な紺のコートを着て木刀を持つ 。そして闇を見張る。見張りをするときのポイントは上から右から左へ視線を動かしていってむらをなくすことだ。歩哨の訓練というものもあって 実際、スパイが来たと想定して行う。指導官がスパイ役。まず歩哨が不信人物を発見した時は「たれか、たれか」と聞く。するとスパイは「なんとか二等陸尉です。」という。歩哨は「暗唱は?」と聞きあらかじめ用意されていた「山は青い」という暗唱をスパイが言わなかった場合は木刀で襲いかかる。ただしい暗唱をいった場合は「おつとめごくろうさまです。」と言う。わたしも夜中の2時から3時まで歩哨を務めた。スパイはやってこなかった。がっかりだ。暗唱も猪鹿蝶とかもっと気の利いたものにすればいいのにって思ってた。とにかく歩哨はひまひま。
恐怖の掃除編
1年にとって掃除ほど苦痛なものはない。朝の点呼終了後、1年はダッシュで階段を駆け登りその日の割り当ての掃除場所に行く。例えば洗面所ならば、バケツに水を汲んで下ぶき用と上ふき用の雑巾とほうきとちりとりをもって洗面所の前にきょうつけをする。すると2年の掃除の長がやってきて敬礼をし「かかれ」と言う。掃除には全てマニュアルがあり順序を間違えると「そんなふうにならったんか?」と激がとぶ。最初のころは朝5時くらいに起きて掃除のマニュアルノートを見てやり方を間違えないように勉強したものだ。怖い2年のひとのときはとくに念入りにノートを見た。
1週間のうち金曜日は大掃除がある。その日は朝の掃除も大掃除。廊下などは、はきぞうきんがけするだけでなくワックスを塗る。トイレや洗面所も水をまきたわしでこすりまた水をまく。指導官室ははき、ぞうきんがけをし、ワックスをかけポリシャーでみがきをかける。1年は自室と廊下を掃除する。これは授業後とクラブの合間の時間に行う。まず自室は、はき、ぞうきんがけをし、ワックスをまき、ポリシャーでみがく。この辺はワンパターン。それから机や本棚、ロッカーをうわぶきする。窓の溝はただ雑巾でふくだけではよごれが少し残ってしまうので綿棒とか爪楊枝を使う。廊下も同じようにひかるまで掃除する。
夜、自習時間に大掃除点検がある。2人部屋なのでどちらかが長で点検する上級生にたいし「きょうつけ。」と相棒にきょうつけさせ「大掃除点検準備中です。」と言う。そうすると上級生が「やすませ」というので「やすめ」という。そこから点検がはじまる。まずベッドはきっちとつくられているか。シーツと毛布の間は15cmときまっておりシーツの折り目は45度、毛布はたるんでいてはいけなく10円がおとしたときにはねなければならない。そんなむちゃな。ってかんじだったが。それからロッカーの上や本棚の上を手でさわり埃があると「これ、みてみろ」といわれる。そして不備があると再点検となる。
まったく今日本国民がやってる掃除は甘ちょろいものだと思う。年末だからといって大掃除するが、日ごろから1週間に一度大掃除をすればいいのではないか。防衛大学はすみからすみまで磨き上げるのは当然でスピードも要求される。だから掃除が終わったあとは汗だくとなる。掃除は命がけですべし。と言う教訓を得た。
NEW! (秋の定期訓練編3) 訓練も終盤にさしかかり2度目の非常呼集があった。また朝の5時だった。暗くてなにも見えない。電気はつけれない。電気をつけると攻撃されるからだ。指示されたとうりに作業服、弾帯、サスペンダー、水筒、ライナー、てっぱち、銃剣を装備し、半長靴の紐を編み上げ準備を整える.しかし半長靴を履いた段階で私は失態に気づいてしまった。半長靴を左右逆に履いてしまっていた。その場にいた指導官が「そんなんで走れるか」といったのでやむなく履き替えた.
そのあとダッシュで集合場所にいくとみんなが腕立て伏せをして私の到着を待っていた.人員掌握をし大隊主席指導教官に報告が終わり走りに行くのかと思ったらなんか今日は違うらしい.「全員、一列になり、膝をまげ、前のものの肩をつかめ.」といわれた。指示どうりにした。すると「思いこんだら、試練の道を、行くがわれらのど根性。真っ赤に燃える勝利のしるし、卒業証書をもらうため。血の汗流せ。涙をふくな。ゆーけゆーけ防大、防大生。」という巨人の星の音楽に合わせて右に左に前に後ろに前のものに合わせて飛ぶ.実際、この訓練は陸上自衛隊のなかでも最も厳しい訓練であるレンジャーになるための訓,練でもつかわれているらしい.ちょっと歌は変わり、「思い込んだら試練の道を。行くがわれらのど根性.真っ赤に燃える勝利のしるし.レンジャー記章をもらうため。血の汗ながせ涙をふくな。ゆーけゆーけレンジャーレーンジャー」という歌になるらしい。
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