my LIFE as HERMIT
「インドでわしも考えた変」(その3)

(文中1ルピー=3.5円)

バラナシ:ガンガー
 

 前の日バスからホテルまで俺を乗せたリクシャーに、バラナシでのガイドを頼むことにした。何となくインドのコツがわかってきたぞ。うざい客引きを断るには、最初っからそこらへんのインド人を一人誰かガイド兼露払いとして雇っておけばいいのだ。ワクチンと同じ原理だな。

 俺が泊まったホテルはバラナシの新市街。空港からのバスにのると新市街のホテルに自動的に案内してくれるようだ。一方旧市街のホテル、というかゲストハウスは一泊50〜100ルピーくらいだそう。一泊が安いので長期滞在者(1ヶ月以上)多し。麻薬(ヘビーなやつ)で人間やめてた白人見た。日本人にもそういうのいるらしい。

 で、やっぱりバラナシといえばガンガー(ガンジス川)。朝は寒かったが、昼に近づくとだんだんと暖かくなってくる。市街地を抜けてリクシャーでガンガーまで行く。


バラナシ新市街朝のラッシュアワー。当たり前だけどインド人もちゃんと働いてます。

 この日は平日だったので朝の市街地は通勤通学の大ラッシュ。新市街は学校やオフィスが多い。観光客なんて俺一人でないのか。こんなことして遊んでていいのか俺、とか思う。いかん、ワーカホリックになってるかもしれんなあ。早くガンガーに行ってそんな労働意欲などという不浄なものはきれいに洗い流してしまわなければ。とりあえずガート(沐浴場)に行くには旧市街を抜けなければならない。旧市街は石でできた迷路みたいな所で、どこをどう走ってるのかわからなくなってくる。道が狭くて車は入れない。リクシャーか自転車か徒歩のみ。旧市街に入ると急に雰囲気がダウン系になる。民衆のやる気のなさパワーがヒシヒシと伝わってくる。


バラナシ旧市街はほとんど全てこんな感じのダンジョン。方向感覚が麻痺する。前はガイド。

 もうガイドがいないとどこをどう歩いてんのか全然わかんない。何やら2000年前の町並みがほぼそのまま残ってるんだそうだ。まあ石作りだからなあ。とにかく無事ダシャーシュワメート・ガート(一番有名)について、さあレッツ沐浴。と思ったけど服脱いだ瞬間に服やら持ち物全部もっていかれる気がした(たぶん絶対そうなると思う)のと、ガイドのすすめもあってボートにのることにした。

 まーボートもこのガイドと組んでんだろーなーと思ったけど、もう昨日あたりから全てがどーでもよくなってきてたのでそのまま抵抗せずに乗る。当然手漕ぎ。2時間のクルーズ。値段を聞くと「それは気にしなくてもいい」と言われたので気にしないこととする。しばらくボートにのって進んでると、


だから露光を調節しろよ俺はよ

 どこからかこんなボートが近づいてきた。土産物売りボートだ。
「ヒャクハチ、ヒャクハチはいらんか」
 何のことかわからなかったが、ヒャクハチ=数珠のことらしい。何かの実でできている。買う。あとわけのわからない首飾りも数個買って首にまきつける。気分はもうヒッピー。あと真鍮の「ガンガーのおいしい水入れ」を売ってたので、それは是非買わなければと思い数個買ってさっそく水を汲む。それといろいろ小物を買う。ヒンドゥーの神々像セットも買わないかと言われたが「俺はクリスチャンなんだ(疲れてても嘘は自然に出てくるんだよなあ俺)」と言って断る。もう値切るのとか面倒になってたんで俺は何も言わずに300ルピーを差し出す。拝まれる。しまった買値がかなり高かったのか。でもまーいーや。その他にもフラワーキャンドル売りのボートとか(火をつけて精霊流しみたいに川に流す。流すときに親とか家族の名前を言う。「一つ積んでは母のため〜」とかいうやつか。それは違うか。これをやり終わるとキャンドル売りに「ユーハヴァグッドカルマ」と言われる)、坊さんが100人乗ったボートとか、レガッタの練習ボートとか、ガンジャをチラムでもうもうと吸ってるサドゥー(苦行僧)のボートとか、やたら新婦が渋い顔をしたハネムーン(?)のボートとかとすれ違う。ボート漕ぎは途中で疲れたらしく、俺に「ちょっとボートを漕いでみないか」と言われる。何で俺がお前のボート漕がなきゃならんのだ。「ノーサンキュー」「そうか」バラナシのインド人は引き際がいい。
 

 途中野焼き火葬場を通る。ボート漕ぎに「ここでは写真は禁止だ」と言われる。写真については空港で痛い目を見たのでおとなしく言う通りににする。…ボートの周りに何やら黒い燃えカスが流れてきた。「この黒いのってアレか?」「そう、ボディだ」さっき買った水入れにこの黒い燃えカスの入った水を汲もうか、と思ったが人の脱輪廻のジャマをしても悪いと思ったのでヤメる。

 この「脱輪廻」の発想はすごいよなあ。普通ヒンディーってのは輪廻転生を信じてて、ちゃんと戒律を守って生きていれば次にはよりいいカーストに生まれ変わると思ってるんだけど、死んで燃やされてガンガーに流されるとその輪廻は「ナシ」となる。そして、それこそがヒンドゥーにとって最高の死であるとされる。つまりどんなにいいカーストに生まれても、結局生きてるってことは苦しいことなんで、二度と生まれ変わらないように死ぬのが最高であるってことだよな。もちろんガンガーに流されたあとは死後の世界とかいうものも何もナシ。無に帰る。しかもこれはしっかりとした自分の意志で。これぞ究極のダウナーな発想。素晴らしい。

 …素晴らしいんだけど、どうしてこの葬式の隣で結婚式やってるかなあ。死と再生は同価値ってことか。ガンガーでの死が特別に聖なるものである、ということか。でもボートの兄ちゃんに聞いたら「それは何かおかしいのか」と言ってたからここではそれが普通なんだろうな。


結婚式。このすぐ右隣が焼き場。ギリギリのショット

 2時間のクルーズがおわった。ボートの兄ちゃんに金を払おうと思ったら、このボートのオーナーなる者がやってきて、こっちに金を払うようにと言う。そうか、このボート漕ぎの兄ちゃんはプロレタリアートだったのか。搾取されてんだろーな。オーナーは、さてゆっくり交渉だという感じでどっしりと俺の前に座り「1500ルピーだ」と言う。デリーのホテルから空港までのタクシー代が800ルピーなんだから、それは高すぎだろう。
「それは高すぎる。1000ルピーがいいとこだな」
「! オーケー! 1000ルピーでいいよ」
しまったまた高すぎた! 観光ボートに1000ルピーも払ってどうする俺。もう全て何もかもどうでもよくなった。ヤケになってボート漕ぎの兄ちゃんにボーナス400ルピーやる。ケタが一個多い、という感じで兄ちゃんは俺の方を見る。いーよいーよもう。たまにはこういうことがあったっていいだろ。でも次に来た時にはしっかり値切ってやっからな。と固く誓う俺であった。
 

つづく

「インドでわしも考えた変」(その2)

「インドでわしも考えた変」(その1)

「隣の印度人変」

「大阪変」「ハッカー変」

戻る