六日目 H13.10.9
もう飽きた。早く帰りてえ〜! 昨日は結局4時くらいまで起きてたが、午前中のファイナル講義の開始が9時半なので朝メシ食わないでずっと寝てた。最後の講義は事務的なことあれこれ。保険のシステムとか、派遣後の給料とか。派遣先がどこかにかかわらず、本部から出る1ヶ月の手当ては日本円で20万弱。まあM*Fもそのくらいだった。あとの生活費は自分が「所属するとこ」と直接交渉とのこと。合格者にはあとから登録用紙が送られてくんだと(この10日後くらいに登録用紙が送られてくるんだが、何故か『配偶者』のところだけ勝手にチェックはいっていて『ナシ』になっていた。氏名とか電話番号とかの所は全く白紙なのに。何の陰謀だろうか。とうぜん「アリ」に書き換えといたし、緊急連絡先もヨメにしといた)。
「英語だけじゃダメなのでフランス語かスペイン語もできるようになっとくように」と言われ、最後に「終了証書」を貰う。で、ウチの班の、昨日俺に「英語出来なきゃダメですよ」と言った奴が「それではみなさん、最後ですので『今日の日はさようなら』を歌いましょう」と言い出す。いや、早く帰りたいんだけど、俺。この人、昭和30年代生まれ? しかも、あとから「いやあ、俺あの時マジで泣きそうになったよ」とか言ってた人いたんだが、マジで? みんなあんなにイガミあっていたのに? ちなみに当然俺は悲しくも何ともなく早く終わんねえかな〜としか考えていなかった。ああ、このウソくさい雰囲気は俺の最も苦手とするもので、なんか気の利いたブラックなギャグでもかまそうと思ったが、ゴタゴタして帰る時間が遅くなってもヤなので自粛する。 その後、記念写真を撮ってメシ食って解散。最後の最後に中国・香港の参加者と名刺交換。あ、陳さんって「宣傳部長」だったんだ。しかしなんか他の参加者見てて思ったんだが、日本人ってヨーロピアンとアジア人に対する接し方ってゼンゼン違うよな。教官に対する態度と同級生に対する態度の差、というのをさっぴいても。内地だからか? しかし、これだけあからさまに違うとは思わなかった。しかも、これって国際救援の研修ダゼ〜? まだ欧米コンプレックスあんのか、日本人。
帰り、「山中湖」駅までの車、同室者(富士山まで車で来ていた)が乗っけてくれることとなった。ここで同室者と初めて二語以上の会話をする。他にも3人同乗したんだが、この時車の中は偶然に医師・看護婦だけとなる。今回の研修は医師・看護婦が半分、事務系ボランティアが半分の構成。いつもより医師・看護婦が多いんだと。医師は外科がほとんど。で、どこの病院でも「事務系職員」と「医療系職員」の仲は悪いもんであるということが判明する。病院でない所でもそうなのだ、ということも今回判明する。
山中湖駅では外人グループがフジヤマ登山に来ていた。なんか日本語ばっかりで困っていたようだったが、我々の誰もがもう英語は聞くのもヤになってんので全員で無視する。戦時中の日本のように英語使いたくなくなっている。今野球やったら絶対「よし一本」「だめ」とか言う。え、こんなんで海外行けんのかって? だってここ海外じゃねーもん。日本だもん。しかもこれから帰るとこだし。海外の長期だとアキラメがつくから。
新宿までの帰りのバス。メヒ子(かんごふ)と同じバスになる。で、ポリ子とかフェイにもさんざん聞かれた話なんだが「精神医学とは精神分析なのか」という質問をされる。ああ、一般の人の精神医学に対する知識なんてそんなもんなんだろーな。質問のコースは大体同じで「今でも電気とかやってんですか」とか。やってるよ〜。効くもの。で、先の質問の答え「俺は現象学的精神医学の立場であって、精神分析の立場ではない」というと「何それ」となって「だから現象学ってのはあれこれヘンな解釈をしないで現象そのものを見るものであり」→「でもそれって結局その『現象』を分析してることなんじゃないですか」→「まあそれは確かに『分析』をしているのかもしれないがそれと『精神分析』とは全然違って」→「精神を分析するから精神分析なんじゃないスか」→「だから違うって、んーと、例えば『東京ディズニーランド』は東京という『名前』はついてるがホントは東京じゃなくて成田(訂正:浦安だ)にあるだろ」→「ぜんぜんわかりません」となる。いいんだ、わかんなくて。「Da-Sein Analyse(現存在分析 ドイツ語)」とか言い出すともっとわかんなくなるだろうし。そもそもそれって英語でどう言うのか知らないし。
新宿で「帰り組」と別れ、羽田経由で飛行機も無事飛んで帰宅。帰宅後ヨメと打ち上げに街に出る。タクシーの中でヨメと研修の話をしてると運転手から「自衛隊の方なんですか」と言われる。まあやることは同じです。たぶん。アメリカに狙われるかタリバンに狙われるかの違いで。
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