五日目 H13.10.8
いや〜、昨日も飲んだなあ〜。まあ実質的には昨日で終わりみたいなもんだし、今日からは軽く流していくべ流して。などと思い、ネボケながら朝食のため食堂に…あれ、みなさんもうお集まりで…ロビーで何をそんなに真剣になっておられるのでせう。テレビをみんな見ているが… 「アメリカは10.8未明よりアフガニスタンへの攻撃を開始しました。アフガン・イスラム通信によりますと、早くも市民に死者が出ているとの報告です」 あ〜やっぱり始まったか。アメリカ、地雷踏んだな。アフガンに手を出して無事にはすまされんな。ソ連もアフガンに手を出したセイで金なくなって崩壊したんじゃねーの。 そもそも、ビンラディンが犯人かどうかもねえ〜。ここからは俺の私見。貿易センターとペンタゴンはともかく、あの「激突に失敗した」飛行機の目標、みんな忘れてねーか? ニュースでは「別荘」とか言われてたが、別荘は別荘でも、あそこは「キャンプ・デービッド」っていって特別な意味があるんだよ。だいたい単なる「大統領の別荘」だったら、破壊したところで貿易センターやペンタゴンに比べてインパクト低いと思わねえ? あそこはねえ、第四次中東戦争(いまんとこ最後の大がかりなアラブ・イスラエルの戦争)の停戦調停場所。エジプトの大統領(サダトだったか)とイスラエルの首相(ラビンだったか)がアメリカの介入で「シナイ半島はエジプトのもの、そのかわりガザ地区などいろいろ(つまり今のパレスチナ自治区全部)はイスラエルのもの」とパレスチナ人抜きで勝手に決めた所。したがってパレスチナ人にとっては大変にウラミハラサデオクベキカな所だ。その時の首相は二人とも暗殺されたはず(訂正:この時のイスラエル首相はベギン。サダトとラビンは暗殺されたがベギンはどうだったか忘れた)。だから、あそこを攻撃されるとたいへんに「犯人グループの目的がわかりやすくなってしまう」。結局攻撃されなかったけど。もし航空機が「墜落」じゃなくて、アメリカのミサイルで「撃墜」されてたとしたらペンタゴンより大事、というか大変な所だってことだよな〜。アメリカはもうパレスチナ問題にかかわりたくなさそうだし。 で、ビンラディンってパレスチナ人だったっけ〜? サウジアラビアの富豪の息子でしょ。八つ当たりじゃねーのか。パレスチナ攻撃したらアラブと全面戦争だけど、アラブ社会からも孤立してるタリバンだったら攻撃しても誰も文句言わないだろ〜、みたいな。それに「自爆テロ」ったら普通パレスチナ名物なんじゃねーの。
まあ勝手な推論はおいといて(これでも「Q33NYの陰謀論」よりはマシだろ)、「いやー大変なことになりましたね、教官」 と、テレビを見て緊張しているセーガン教官に朝のあいさつ。「…あ、ああ」…なぜ目をそらす? レクター教官にも…って、話しかけようとする前に何故立ち去る? 昨日俺のことで何か決めたのか? いや、まあ確かにアフガン行きたいとは言ったけど。
午前中の講義。まずは予定を変更して急遽セーガン教官による本部からの情報。食料・医薬品コンボイの第一陣は既にイラン国境をアフガン国内倉庫(あとでアメリカにピンポイント爆撃されたとこ)に向けて出発、第二陣が既にイラン国境にて待機中とのこと、などの独自情報を知らされ、気分はもう戦場。続いて「secret」と書かれた何やら怪しげなビデオを何の説明もなく上映。最初に「CAUTION このビデオは外部の人間に見せてはなりません また、このビデオのマニュアル通りにはいかないこともありますので御了承」と仰々しいテロップが。そう、これぞIC**の「戦場マニュアル」ビデオだったのだ。
内容は自動車教習所のビデオのごとくたんたんと進められる。 「車を運転中にスナイパーに狙われていると思われた場合」速やかに音楽を止め、窓を開け(←銃声は弾丸より早く到達するので)、銃声に注意しながら徐行して進行しましょう。地雷にも気をつけて。 「運転中、実際に銃撃された場合」すみやかに車を降り、頭を低くして車の陰に隠れましょう。 「ゲリラに囲まれた場合」自分の身分を証明し、職務内容を説明しましょう。 「説明してもスパイだと疑われ拉致された場合」とりあえずもっかい平和的に説明してみましょう。 「銃撃や爆弾で怪我をした場合」物陰に隠れて止血し、救助を待ちましょう。 「死んだ場合」遺族にはロイズ保険組合から充分な額の保証(訂正→補償)が約束されています。
たいへんに気分の重くなったところで昼食。昼食後は無線の練習。「なんとかかんとか、オーバー」とか。AはアルファのA、BはブラボーのBとか。無線ってーと、なんかおっきな機械でガリガリやるようなもんか、と思ってたが、最近の無線はハンディになって携帯電話より小さい。まあそーだろーな。携帯より繋がらなかったら意味ないもんな。しかしこの無線は携帯より繋がらなかった。直線じゃないとつながんないの。障害物あったら繋がらない。実戦ではもうちとマシな無線くれんだろーな。 で、この無線実習の最中、ウチの班の奴(TOEIC900点以上だと)から「そんな英語じゃダメですよ、もっと英語勉強しないと」とか言われる。でも教官にもオーストラリア人にも香港人にもちゃんと通じてんだからいーじゃねーか。文法ばっか気にしてると失語症になるゼ。しかしなんとなく弱点を人から言われるとイヤなものだ。しかも合宿五日目で、知らない間に徐々に疲れとストレスがたまってきてたようで、普段の俺であれば何でもないことがいやに気になってきたりする。ムクムクと沸き起こる不安。持ってきたレキソタン一気のみでもしようと思ったが、とりあえず薬ナシでストレスの限界に挑戦してみる(よい子は真似してはいけません)。
毎日ジンばっかり飲んでたせいもあるのか、急に胃が痛くなってきた。晩飯は打ち上げもかねて(明日午前中講義やって帰れる)外でバーベキュー。しかし胃も痛いしジンギスカンもない。ジンギスカンだったら少しは食えるのに。何故内地人は羊を食わんのか。しかしこの程度のストレスになど負けていられないので肉を食う。ついでにジンもストレートで飲む。当然のようにものごっつ胃が痛くなる。
食後は、今日は講義でなくて「VIDEO EVENING」と題して、ロビーで酒でも飲みながらゆっくりビデオでも見て下さい、ということだった。しかしこのビデオ、全部戦場とか災害モノでとても酒飲みながら見れるとかいうもんでなかった。胃が痛え。で、何が一番怖いって、本部から派遣される時は専用の飛行機で行くんだが、その飛行機がまた100年前のエアロフロートで(たぶん寄付によるもんだろー)、これに比べればサハリン行く時に乗った飛行機がボーイングの最新機に思えたほどだった。着陸の時、機体が60度くらい傾いてたし。これ、3回に2回は落ちてるだろー、みたいな。あとはひたすら戦争戦争災害戦争。ビデオが終わった時、参加者中最年長(52歳)の外科医(以下、長老)が「ああ、平和っていいなあ」と思わず漏らす。全員激しく同意。長老はあと「俺はもうこの研修だけておなかいっぱい、絶対派遣には行かない」とも言ってた。
で、まあ楽しいVIDEO EVENINGも終わり、そのままロビーで飲み会。教官から「音楽がねーぞ音楽が」と言われる。やっぱりここで「戦場のメリークリスマス」でしょう。ピアノを弾くと胃の痛みも消える。おおっ、こんな所で自ら音楽療法の実践が。その後いろいろとリクエストをいただく。「テイク・ファイブ」とか「ナイト・イン・チュニジア」など、わざわざピアノソロでやるにはキツイお題をいただく。しかしこれらの曲は俺は既に高校の頃には出来るようになっていたのだ。ふっ。まあこの時は弾けなかったが。だって練習してないもん。あとはまあ歌謡曲とかポップスとか。
ピアノにも(俺が弾くのが)飽きてくると「間」ができてしまった。ポリネシアの人(以下、ポリ子)の提案で「ジェスチャー」をやることに。最初はみんなやりたくなさそうだったが、やってる間にノッてきた。俺の組は俺の他、中国・ポリネシア・日本人(UKの大学留学中につき、以下、英子)の4人。で、この中国の人(以下、ミスター陳)がスゲー面白い。陳さんの出したお題は「南北に分断されたコリア」とか「チベット差別ネタ」とか「日本の歴史教科書」とか。で、一番面白かったのが、お題は「人道援助」なんだが、陳さんの演出は「お前、日本兵の役やれ。そして俺が中国人市民として打ち殺されるから。その後、英子が日本人として素通り。ポリ子が人道的に俺を蘇生する」という大変に国辱なジェスチャー。俺はそのような役は日本人として当然快諾する(英子は「ヤバイって」とか言ってシブるが、俺が「大丈夫だって、絶対ウケるから」と言って無理矢理やらせる)。実際にやってみると、いやあ、場が凍ったのなんの。あれだけ場を凍らせたことは俺の人生でもなかなかないね。それと、陳さんの演技にはアメリカを徹底的にコケにするネタが多い。 俺「陳さん、アメリカ嫌いでしょう」 陳さん「あ、わかる?」 その後、俺と陳さんとで夜中までアメリカの悪口で盛り上がる。しかし、アメリカの悪口なのに会話が英語という所がシャクだ。今度会うまでにマンダリン(北京語)を覚えておこう。
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