*今回は平野啓一郎「日蝕」(新潮社)を立ち読みでもいいから最初の1・2ページくらいざっと読んでおいたほうがいいかもしれません。
これより私は、或る個人的な回想を録(しる)そうと思っている。これは或いは告白と云っても好い。
冀(こいねがわくは)、上(かみ)の誓いと倶に、下(しも)の拙き言葉の数々が主の御許に到(とど)かむことを。夜露死苦(よろしく)!
椴法華(とどほっけ)漁協に籍を置き、漁業を営んでいた私は、ある日漁にでようと為た際、龜が子供達に酷く虐められているのを見た。私はこの龜に頗(すこぶ)る興味を抱いた。その龜は千二百三十二年に我羅波呉洲(ガラパコス)でウォリマ・ベイ・ウオリマ・ハビクタニによって発見された『ガラパゴスヘルメスオオウミガメ』であったからだ。子供達に幾らかの金銭を与え追い払いし後、その龜を学究の為持ち帰らんと為たその際、龜が御礼として、私に龍宮に行くことを勧めた。
龍宮に関して、私は甚だ関心を有していた。不遜を懼れずに云うならば、私は龍宮=琉球のことではないかと考えており、自身の民俗学的検証を実践する佳(よ)い機会に、単身椴法華(とどほっけ)を発たむと意を決したのでった。薩摩の島津によって琉球が侵略されたのは、これより後のことである。
南茅部(みなみかやべ)、長万部(おしゃまんべ)、倶知安(くっちゃん)を経由し龍宮に着いた私は、乙姫なる女性の接待を受け、毎日鯛や鮃や鱸や鰺や鰯や鰤や鰈や鱈や鮪や鯖の舞踏等を堪能し、またオーストラリアあたりから文句が来るような生け作りを含む豪勢な海鮮料理や泡盛やソーキソバやゴーヤーチャンプルなどを食しつつ、ただダラダラと時の遷るのを重ね、其所で数日を過ごした。
パウロは云う。「人はパンのみに生きるにあらず。ゴハンもナンもチャパティもウドンもソバも食して生きるなり。」…パウロじゃなかったような気もする。
たいがいに龍宮も飽きた私は、そろそろ家に帰りたいと思いその旨を乙姫に告げた。帰り際、乙姫は小さな漆塗りの匣(はこ)を一つ土産に凭(もた)せた。どうにもならなくった時に開けよと云う。取敢(とりあえ)ず持って帰ることする。
椴法華(とどほっけ)に帰った私は、回りの風景の遞(かわ)りたることに愕然とする。大掛りな都市開発事業があったらしい。龍宮での夢のような生活から一気に荒涼たる現実に落とされたようだ。家族は…家族? 私には家族などあったのだろうか。そもそも此処に居る私は現実の存在なのだろうか。この荒涼たる景色が現実のものであるのだうか。これこそ夢なのでは無いのか。また龍宮に帰りたい…しかし、龍宮というのも現実に存在したのだろうか。再び龍宮に行ってみると、またこの故郷のように荒涼とした風景に愕然とするのではないだろうか。全て私の脳髄の作り出した幻想ではないのだろうか。幻想ならば其れでも佳い。箇の様な現実は私は拒否する。乙姫はどうにもならなかった時にこの匣(はこ)を開けよと言った。匣を開けた瞬間、白煙が旻(そら)に向けて立昇り、煙塵が視界を霞めた。世界が失われて私が有り、私が失われて世界が・・・
・・・・・・・・・・・光、・・・・・・・・・・・・・・ ・・
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(なんだこれ)
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