Q19.
WeeHaa!
先ほど、ご住職からもメイルにて検察官面前調書の抜粋を頂きました。いや〜、ご住職といい、デス先生といい、本当に善良なイイ人であられますですねェ。リアルタイムに貴重な記事が読めるなど、ボクのような僻地にブッ飛ばされた人間にとっては、嬉しい限りであります。差し入れを貰った、受刑者のようであります。
ところで、酒鬼薔薇クンでさえ、デス道不合格ですか、残念ですね酒鬼薔薇クン。普通の人でした。まぁ無慈悲さ残酷さでいったら、キミよりボクのほうが巧妙だしな。やっぱ、速球投げれても、それだけじゃダメだよってことですよね。
ところで、気になることがあるのですが、ボクは、酒鬼薔薇クンをてっきり、No remorse な 虚無主義者とばかり思ってましたが、彼は、B君を斬首後、首と対話しておりますが、これはどう理解したものでしょうか? 実は、ぜんぜん虚無主義者じゃなくって、魂の存在を信じているからこそ、実験したのでしょうか? ここ間違うと、全然おかしなことになってしまいますので、解説の方をよろしくお願いします。
しかし、このままじゃ、「罪と罰」を地でいっちゃうんじゃないかっていう、気がしないでもありません。あ、おまけに、「B君の首を鑑賞している時の感動が強かった」などと証言しておりますが、普通、人様の首に対して「鑑賞」などという失礼な言葉は使わないと思うのです。ボクはこの事から、ある種のアンダーグラウンド系サブカルチャーの価値観を感じてしまうのですが、どうでしょう?
p.s.ダメダ、ボクハコノ程度コトヲ言ッテイルダケデ、罪悪感ニ襲ワレテシマウ。ボクハ、ナンテ善良ナ人間ナンダロウカ。ゴ住職ノトコデ、シュギョウシテキマス。(質問者:NofAdZs)(自己嫌悪バージョン)
A19.ハイ、御指摘の通り、彼は虚無主義者でも何でもアリマセン。ただ「死ぬとはどういう事か」という事を理解したいが為に実験したダケ。虫や猫の延長線上に人間がいたダケの話デス。魂の存在も信じてイタからこそ、罪悪感が「B君の言葉」となって首カラ出て来たのデショウ。目や口を切ったのも罪悪感によるものデショウ。普通の殺人者に良く見られる現象デス。
アングラ系サブカルチャーの影響ハ、彼の場合当てはまらないと思いマス。死体フェチだった場合、もっと死体の損壊が激しい筈。ただ純粋に「殺してみたかった」のだと思いマス。「鑑賞」については、他に言葉が見つからなかったのデショウ。ところデ、ウチの上司とも話してみたのデスが、こーゆーのを「性衝動」で片付けテシマッテもいいのデショウカネエ。そうなるト、知的欲求も全て「性衝動」になってしまう。上司は解剖学教室に在籍してたこともあるのデ、「じゃあ俺も酒鬼薔薇と同じなのか〜」と言っていましタ。フロイトさん、ドーシテくれますカ。(デス見沢)
Q18.について
【酒鬼薔薇の検察官面前調書】
和尚さま。いいなぁ〜、読みたいなぁ〜、それ。
というと、自分で探せと言われるかと思いますが、ボクは、それを買いに本屋に行くのに、 2千里移動しなきゃいけないので、ちょっとつら過ぎます、というよりバカですので、一応、東京の手下に入手命令を出しましたが、報告が来ないので、入手できなかった模様。
【シェイクシェイクインアウトインアウト in 南京 '44】
については、うちの祖父は共X党員で、X国民(偉人)ですので参加しておりません。(発言者:NofAdZs)
Q18.
本日、酒鬼薔薇の検察官面前調書(通称検面調書)が掲載されていましたので、文芸春秋を早速、購入してきました。
ゲームのお楽しみを奪って恐縮ではありますが、是非、デス見沢先生のご感想をお伺いいたしたいと存じます。(質問者:珍宝院釈法伝)
A.18やっと手に入りましタ、文芸春秋。タマランチ工房書籍部のおばちゃンが私の為にワザワザ取っておいてクレタようデス。この雑誌、手に入ってオラレない方モ多いラシイデスので、本文の概要ヲ掲載シナガラ、私ノ感想を述べて行きたいト思いまス。
まズ、文芸春秋ニ載っていタ本文の構成デスガ、初めに立花隆(嫌い)の解説。ここに述べられているのは、「この検事調書を掲載する事は、この事件の真相を世間に知らせる為に必要である」ということ。(この意見には私も賛成デスが、これを読んでちゃんと真相を理解して下サル方が何人いるのか…)それと「懲役13年」という酒鬼薔薇の作った文章(これは前に新聞にも掲載されてた。凄い文章力デス)。続いて、問題の検察調書。最後に、家裁の処分決定要旨。処分決定要旨は、ゴ住職のHPで読めますし、以前にココでも取り上げましたので、今回は検察調書のみの説明・感想とさせていただキマス。
「供述調書 平成9年7月5日付」(概要)
平成9年5月24日昼過ぎ頃、僕は人を殺したいという欲望のため、殺すのに適当な人を探すため、自転車に載って自宅を出ました。すると、向こうからB君(被害者の男児)を見つけたのです。咄嗟に僕は、「B君ならば、僕より小さいので殺せる」と思いました。B君は、僕の弟と遊びによく僕の家に来ていたので、知っていたのです。
僕は、B君に「カメを見にタンク山に行こう」と言いました。僕はタンク山でよく遊んでいたのでタンク山の地理には詳しく、B君をそこのケーブルテレビアンテナの所で殺そう、と計画したのです。B君は、嫌がる様子も泣く、素直に付いてきました。ケーブルテレビ施設まで来ると、僕は後ろからB君の首を、腕を巻き付けて絞めあげました。しかしB君は死ななかったので、運動靴のヒモを使って首を絞めました。しばらく絞め続けていくと、そのうち、B君が呼吸している音が止まりました。ようやくB君が死んだと思いましたので、B君の首に巻き付けていた靴紐を解き、B君の左胸に右耳を当て、心臓の音を確認したところ、全く心臓音がなかったので、完全に死んだということがわかりました。
ところが、B君を殺したものの、B君の死体をどうしようかと考えたのです。僕は、B君の死体は、発見されないに越したことはないし、発見されるにしても、出来るだけ発見を遅らせたいと思いました。死体が発見された段階で、警察の捜査が始まると思ったからでした。僕は、施設の入口に取り付けてある南京錠を壊し(調書には、殺してからノコギリと南京錠を万引きしに行った、と書かれている)、そこにB君の死体を押し込みました。
「供述調書 平成9年7月7日付」(概要)
この日、夜中に目のさめた僕は、今日一日のことを振り返りました。B君を殺した時の様子等を思い出していたのですが、そのうち、南京錠を切るのに使ったノコギリの事を思い出した僕は、自然にフッと、そのノコギリで人間の首を切ってみたいという衝動に駆られました。もっと具体的に言うと、人間の身体を支配しているのは頭だから、その指令塔の頭を胴体から切り離してみたい、その時に手に伝わってくる感覚や、切った後の切り口も見てみたいと思ったのです。
五月二十五日は、いつものように午前10時から12時の間に起きたと思います。そして、昼過ぎ頃、B君の首を切るために自宅を出ました。僕は、ただ「B君の首を切りたい」とだけしか思ってなかったので、別にワクワクするといった気持ちなどはありませんでした。ケーブルテレビ施設の中に入った僕は、ノコギリでB君の首を切り落としたのですが、その首を地面の上に置いて鑑賞しました。しばらくは、この不可思議な映像は僕が作ったのだという満足間に浸りました。
ところが、しばらくすると、B君の目は開いたままで、眠たそうな目をして、どこか遠くを眺めているような目をしていたのです。更に、B君が、僕の声を借りて、僕に対し「よくも殺しやがって。苦しかったじゃないか。」という文句をたれました。それで、僕はB君に対し「君があの時間にあそこにいたから悪いんじゃないか」と言い返しました。するとB君は、更に文句を言ってきました。
その時僕は、死体にまだ魂が残っているので文句を言うのではないかと思い、持っていたナイフでB君の目と、口を切り裂きました。その後、B君は、文句を言わなくなりました。
「供述調書 平成9年7月9日付」(概要)
僕はB君の首を切断する時、血がこぼれないようにと考え、家から持ってきた黒色のビニール袋を開けて置いていたのですが、予想していた程ではなかったもの、B君の血がそのビニール袋の中に溜まりました。そこで僕は、ビニール袋の中に溜まったB君の血を飲もうと考えました。その理由は、「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、その汚れた血が清められる」と思ったからでした。僕の血が汚れていると思ったのは、幼い子供の命を奪って、気持ち良いと感じている自己嫌悪感の現れです。口一杯分の血を飲んだ時、何か金属を舐めているような感じがしました。
その後、僕は帰ろうと思いましたが、B君の首を鑑賞している時の感動が強かったので、ここよりも一目に付かないところにB君の首を持って行って、ゆっくり鑑賞しようと考えたのです。そこで僕は、もう一つのビニール袋の中にB君の首を入れ、タンク山から降りて、池の淵に生えていた木の根本の向こう側の穴に、B君の首を押し込めました。その時、僕はまたB君の首を鑑賞しましたが、「ああ、こんなものか。」と思った程度でした。
B君の首に興味がなくなると、今度は、このB君の首をどこに隠そうかと思いました。しかし、日本の警察であれば、どこに隠したとしても、遅かれ早かり、胴体も頭部も発見されてしまうだろうと考えました。であれば、むしろ僕の方からこのB君の首を敢えてさらすことで、警察の捜査から僕を遠ざけようと考えたのです。
次に、B君の頭部を放置する場所ですが、これは僕が通っているT中学校が、警察にとっては一番盲点になるのではないか、と思いました、何故なら、まさかT中学校の生徒が、自分が通っている中学校に首を置くはずがないと思うだろうし、そうなれば、捜査の対象が、僕から逸れると考えたからでした。
また、僕は、B君を殺したりしたことに対し、僕自身に対して嫌悪感があったので、何とか責任逃れをしたいという気持ちもありました。しかし、人に罪をなすりつける訳にはいかないので、僕自身を納得させる為ために、学校がB君を殺したものであり、僕が殺した訳ではないと思いたかったのです。単に、学校に責任をなすりつけるための理由であり、実際に学校に対する恨みや学校の教育によって、こんな僕が出来てしまったと思っていた訳ではありません。
僕は自転車のカゴに、ビニール袋に入れたB君の首をいれ、自宅の風呂場でB君の首を洗った後、一旦僕の部屋の天井裏に隠しました。
「供述調書 平成9年7月10日付」(概要)
B君の首を天井裏に隠した僕は、ベッドに横たわりながら色々考えていくうち、「偽りの犯人像」を表現するには、手紙を口に加えさせるのが一番だと思いました。そして僕が考えた文章は、今でも覚えています。(さあ、ゲームの始まりです…酒鬼薔薇聖斗)酒鬼薔薇聖斗とは、僕が小学校五・六年生の頃に、悪い方の僕自身に僕が付けた名前でした。
家の者が寝静まった夜中、僕はB君の首を自転車に載せ、T中学校の正門の前(最初は塀の上だったが、不安定で載せられなかった)に首を置きました。その後、家から出た時と同じように、窓から僕の部屋に入りました。
その日の朝、テレビを見ていると、B君の首と胴体が発見された、ということがわかりました。胴体の方は、ちょっと早すぎる、とびっくりしましたが、それらの報道は僕が思ったとおりに、犯人像を30代から40代の男としたり、黒のブルーバードが目撃されたりとか、その内容は、ほとんど嘘でした。ここまで上手くいったので、そうなると僕は、今後何をしても、僕が犯人だということは分からないだろうと思うようになりました。はっきり言って、調子づいていました。
「供述調書 平成9年7月13日付」(概要)
そこで僕は、更に警察の捜査を撹乱させるという目的を完璧なものにしようと思い、神戸新聞社に対して、手紙を書こうと思いました。手紙を書くにあたって、僕自身、心の中では、B君を殺したりすることに満足感を覚える僕自身に嫌悪感を感じることもあったので、その嫌悪感を何とか正当化するための理由を考えました。
そして、考え付いたのが、本当は僕がB君を殺したり、B君の首を正門前に置いていたにも関わらず、あたかも僕の他に犯人がいるとして、その犯人像を僕がイメージして、僕が持っている僕の知識を駆使して、僕がイメージしている犯人像になりきって、手紙を書くことにしたのです。従って、僕が書いた手紙の内容は、あくまでも僕がイメージした犯人像が持っている動機を書いたものであり、僕がB君を殺したりした理由とは全く違っているのです。
僕が五月十五日から中学校に行かなくなった理由としては、すでに別の機会に話している通りで間違いありません(この「別の機会」の記述はない)。学校に行かない理由として、「先生から殴られた」「先生が来なくていいと言った」と友達などに話したかどうかは、はっきり覚えていませんが、仮に話していたとしても、僕が学校に行かない理由付けを適当に話したに過ぎず、本当の理由とは違います。
何故僕が人間の死に対して、この様に興味を持ったかということについて話しますが、僕自身、家族のことは、別に何とも思っていないものの、お祖母ちゃんだけは大事な存在でした。ところが、僕が小学生の頃に、そのお祖母ちゃんが死んでしまったのです。僕からお祖母ちゃんを奪い取ったのは「死」であり、僕にとって、死とは一体何なのかという疑問が湧いてきたのです。
そのため、「死とは何か」ということをどうしても知りたくなり、別の機会で話したように、最初はナメクジやカエルを殺したり、その後は猫を殺したりしていたものの、猫を殺すのに飽きて、中学校に入った頃からは、人間の死に興味が出て来て、人間はどうやったら死ぬのか、死んでいく時の気持ちはどうなのか、といったことを頭のなかで妄想するようになっていったのです。
「供述調書 平成9年7月21日付」(概要)
(B君の前に、二人の女の子を死傷させた事について)この様に、僕は「人の死を理解して、自分のものにする」ための順序として、まず、「どの程度の攻撃で、どの程度のダメージを与えることができるか」という実験をしました。実験の結果は、ハンマーで殴った女の子は死に、ナイフで刺した女の子は死にませんでした。僕が殺した女の子については、僕はどんな感情も持っていません。
実験が終わったので、僕は、今度は実際に僕自身が死を作るようになりました。勿論、僕の心の中には、この様に思う心に対し、嫌悪感を抱く気持ちもあったのです。今思うと、その気持ちというのが、僅かに残っていた僕の良心と理性だったと思います。この様な嫌悪感を抱く気持ちがあったことから、僕は、僕がやった行為を何とか理屈付けるために、既に別の機会で話した様に、本来全く別個のものであった「バモイオドキ神」や「神の審判」あるいは「悟りのための聖なる儀式」という勝手な理屈付けを作るようになってしまいました。
本来はコレの5倍位の量デスガ、こレハ私の個人的ナ興味の有る所ダケを抜粋シタ、と思って下さイ。サテ、まず殺人の動機から何から、結局は私ガ今まで言っていた事と同様と思われマス。「殺したいから殺した」事ニハ違いナイでしょウ。シカシ、ドウヤラ単なる「快楽殺人」トモ違うようデス。「人を殺すとどうなるのかな」という、知的欲求のようデス。彼にとって、殺人は「実験」だったようデス。
科学実験、特に生物の実験には、動物実験ハ欠かせませン。また、医学デあれば、人体デノ実験もよく行われてオリマス。戦時の話バカリで申し訳有りませんが、昔は死に至る実験モやってイタ様デス。実験をやってイイ人と悪い人トノ区別トイウのは、付けラレルものなのデしょうカ。
合法か違法カハ、裁判所ガ決めるものデス。我々には人を裁く権利ハ与えられて居ませン。我々ニできるのは、せめて「何故それをやったのか」を理解スル事であると思いマス。
彼は、全くの正気デス。ただ、「死」とは何かという事を、考えてはイケナイ方向に考えてしまっタ。「考えてはイケナイ方向」というのは、「他人が死ぬとはどういう事か」という事デス。実は、これは確かに「自分が死ぬとはどういう事か」と同じくらい重要な事なのデスが、問題は、自分は一回しか死ねない。他人は沢山いるので何回でも死なせる事が出来る、ト言う事デス。一回だけと何回もデハ、「死」の重みガ違いマス。彼は、「自分が死ぬとはどういう事か」という考えには至らなかった。「デス道」に照らシテ見ると、失格と言ワザルを得ませン。「懲役13年」という素晴らしい文章力が有りナガラ、勿体無い事デス。
本人もソレは薄々分かっているノデ「罪悪感」は持っているようデス。シカシ、其れを自分自身デ背負い込める精神力は無かった様です。別人格・酒鬼薔薇や、バモイオドキ神に頼っている。しかも自分でその事を分かっていル。自分の弱さを認めた様なモノデス。弱さを認めることは重要デスが、強くしよう、という意思のない限り弱いママに過ぎませン。この記述からハ、残念ながらその「強くしよう」といウ意思は読み取れマセンでした。
私の考えデスが、「他人が死ぬ」のを実験しようとするのは、やはり「自分が死ぬというのはどういう事か」というのを納得してカラであると思いマス。そしテ、「他人の死」の実験ニ於いテノ、自分の責任、恨み、中傷、誹謗、未来の社会的生活の絶望を、シッカリ予見出来て居る事。これラの条件を満たさずニ、「他人の死」を実験スル事は、単なる殺人者と変わりが有リマセン。
別に酒鬼薔薇ダケに言ってルンジャネーケドヨ。(デス見沢)
Q.16の訂正
ソーユーノって、同じじゃないと思ーんだよ。
↓
ソーユーノって、同じじゃないかと思ーんだよ。
ご推測のとおりマチガイでした。シツレイしました。趣味の問題。たしかにその通りかもしれません。ワタクシの大学時代の友人で、ジャズ研かつ哲学ゼミだったダメニンゲンのYくんは、当時ニーチェにかぶれていたのですが、やはり似たようなことを言っていたのを思い出します。クワバラクワバラ。(訂正者:“mE”)
ジャズ研! 哲学ゼミ! ダメニンゲン! ニーチェ! お、俺のことか〜?(タマランチ皇帝)
Q17.
性倒錯相談窓口へ
デス見沢先生、デスの光で克服しろとのことでしたが、あのピンナップで30ぷんがんばりましたけど、やっぱ、ガイキチ風ではだめでした(泣)。それから、たまさん。肉親を快楽サツジンすることは、近親相姦快楽サツジンとなり、大変なことです。
ボクは快楽サツジンをしたことはありませんが、他人がクルシンデいるのをミルト、サディスチックな気持ちが起こってワラエます。ボクのワルイ癖は、事故ってち流している人みると、一応事故処理はしますが、ウレシクッテ、しあわせって感じで、ニヤケテしまうのです。
ひとがクルシンデいると、親切を装って逆にイジメるのが大好きです。これは笑い話なんですが、ボクのかつてのカノジョは、ボクのこんなセイカクがダイスキで、じさつをはかりヤガリました。みすいでしたが。じつは、ほかのケースもあるのですが、しゃれにならないので書きません。
このような、ワルイ癖が、邪悪人格に特有のものであるわけがありません。今までに述べたような、キモチヨイけいけんから思うに、他者の内部には、なんかとてつもなくワラエルものがあルハズデス。ボクノ ソウゾ ウデハ サカキ バラハ 内部ヲ ミテニ ヤニヤ シテえ れくと シテイ タニチ ガイア リマセン。ヘタスルト、ジタクノフロバデHe Inserted His Dick Into The Esophagus From The Section Dat Had Been Amputated andシェイクシェイクインアウトインアウトシタナンテソウゾウシタダケデ ワラエマス。DEATHノ デヤツ ハタダ ノ 変態DEATHカラ コロシ タホウ ガホン トウハ ヨイノ DEATH。(質問者:NofAdZs(匿名の匿名))
A17.まさカ、デスの光のアレデ本当にヤル人がいルとは、思イマセンでした。真のオナニストとお見受けシマス。オソレいりマシタ。アと、改行の関係デ、一部の英文にスペースを入れてしまったコトを御了承願いまス。
昔ヨリ、人の不幸はテイスト・オブ・ハニーと申します。「幸福とは他人との比較により得られる」とか誰か私の嫌いな哲学者ダカ何だかモ言ってたような気がしまス。人の不幸を見て笑う、という「邪悪」な心は魔法使いサリーの故郷の如く皆さんひとりひとりの心の中にアルのデス。無い人も、ごく稀にはいると思いますが、ほとんどは持っていると思われまス。でも、それヲ全開にして生活すると、普通嫌われマス。何故デショウ。
「善」ダとか「悪」とかハ、くそプラトンが勝手に決めたものデス。それにキリスト教が入りこんで現在の「善悪」が形成されていったと思われます。「善」のもともとの根拠は「心地よいもの」とかだったような気がします。だったら、「他人の不幸を見て笑う」というのも、「心地よい」から「善」じャネーカ、と思うノですガ、そうはナリマセン。もう一つ、大事な要素がアリマス。「支配者」にとって都合のよい事、つまり「秩序」というコトデスね。それゾレ勝手に人が不幸ニなる事を望んでイテハ、他の国とノ戦争にも勝てないシ、ダイタイ日常の生活ガ、他の人に邪魔サレテできないジャないですカ。現在の日本の「支配者」は、「民主主義」という人らしいデス。「民主主義」閣下の御思想にのっとっレバ、「人の不幸を見て笑う」トイウのは、どウヤラ「悪」のようデス。時の支配者に逆らうノハ、賢明トハ言えませン。シカモ、閣下は民衆にカナリの信頼感を得てオラレルようデスシネ。
酒鬼薔薇のシェイクシェイクインアウトインアウトは、まあ確かに考えられマスガ、貴方のお祖父さんか、そのお父さんに当たル代ノ人タチが、昔、南京ナドデ似たような事をやっていた可能性ハアリマセンカ。(デス見沢)
Q16.
センセー。下の方で、酒鬼薔薇に関して「性衝動の攻撃性への転化」とか書いてるけどヨー、なんかさー、ソーユーノって、同じじゃないと思ーんだよ。(文脈から、同じだと思う、ということデスねbyデス見沢)なにがって、セックスの衝動と殺人とかの衝動ってユーのはさー。だってさ、ニンゲンの体のなかでさ、粘膜が露出してるのって、生殖器、泌尿器、それから唇ぐらいダロっ。で、粘膜ってユーのは、内蔵だと思うんだよ、別の言い方すれば。で、他人と内蔵をくっつけあったり、こすりあったりするもんじゃない、セックスなんて。それがセックスだとしたらサー、他人の肉体を切り裂いて内蔵にさわったりスルよーな行為とどこがチガウんだ? オレには違いがワカンネーよ、じっさい。
あ、別にオレ、人を殺さないと性的に満足しないとかユーんじゃないけどさ、昔の電気グルーブの歌詞(ライムというのか?)で「犬の死体で尿道オナニー」っていうのがあってさ、それ思い出したんでチョット書いてみただけ、それだけだから、別にシンパイしなくてもいーよ。(質問者:“mE”)
A16.「犬の死体で尿道オナニー」かあ〜? 有名ダゼ! 知ってるヨ。「スターリン」はもっとスゴイのアルゼ。まあそれはいいや。前にも書いたと思うんだけど、「性衝動」ってのは、別にセックスのことだけを指すんじゃなくて、「人を殺したい」「串刺しにしたい」「生きたまま焼かれる所を絵に描いてみたい」「そいつの肉を食べたい」とか、もう色々あるワケだ。それは、その人特有のモノ。フェチズムと言って、服とか靴とか「モノ」にしか興奮しネエ奴もイル。だカラ、「粘膜」とか「内臓」に限ったモノでハないと思うゼ。たまタマ酒鬼薔薇が生首マニアだったッテダケだ。これハ、趣味の問題だナ。その趣味が理解デキネエ奴には理解デキネエ。「切手コレクターの心、SMマニア知らず」(梅)(デス見沢)
Q15.
こんばんわ、デス見沢師。
このところ続発している、中学生を中心としたローティーンの凶行に関する某国立大学某心理学教授のコメントが2月5日の某新聞紙上に載っていました。要約しますと、個を軽視した偏差値中心主義、学歴偏重主義教育のなかで、こども達にはやり場のない怒りやストレスがうっ積してきている。また、現代のテレビゲーム世代のこども達には、現実と非現実の区別が希薄になってきており、格闘ゲームに代表されるようなゲームが、現実世界の暴力を助長している。従って、大人たちが責任をもって、子供たちにストレスを与えない社会を作り、暴力的傾向を助長するような商品は規制してゆくべきである。と。アホにしてかつ、人間ちゅーもんを良く分かってない意見だと思われませんか? こんなつまらないことを言う人が国立大教授かと思うと情けなくなる。マスコミの喜びそうな論調(こういうのを僕は ”なんちゃってリベラル” と呼んでいます)が集約されていて、こうした意見を真に受けるバカタレを増産してくれるから、新聞も困ったもんです。
僕に言わせれば、「ストレスの無い幸せ」を無条件かつ無批判に信じる人間が(特に彼らの親の世代に)多すぎることがむしろ問題なんだと思う。 ストレス負荷がものすごく低い環境を理想とし、子供に対しても、極端にストレスフリーな生育環境を作ってやり、それを至上の幸福と信じる人々。この子供たちは、ちょっとストレスが負荷されると、すぐに閾値を超えてしまう。衝動を抑えるブレーキも、使う練習をしたことがないんだから当然効くはずもなく、キレると。
個を軽視した教育ったって、教育ってそもそもが、個を軽視しないと成り立たないものでしょ? 上のコメントのせんせいは大学でいったいどんな個性尊重主義教育をしているのか教えてほしい。同じテキストを使って、同じ時間割で、多人数の前で教えて、おんなじテストして、画一的にならない方がおかしい。教師の志向でもって、生徒の個性なり、他人に無い隠れたセンスなりが延ばせると思っている教師がいるとしたら、その思い上がりの方が問題だと思う。「俺は画一的なこと押し付けているんだ」、という痛みを感じながら教えているならともかく。
テレビゲームにしたって、いまのお茶の間バーチャルリアリティ技術が、現実とごっちゃになってしまうほどのリアルな体験たり得ているとはとうてい思えない。このコメントを吐いたせんせいは、きっとゲームをなさったことがないのに相違ない。
第一、ヨーロッパかどっかの心理学者がいうように、暴力衝動をゲームの中だけで代理的に発散させるという可能性だってあるわけだし。事態は恐らく逆であって、もっともっとバーチャルリアリティ技術を発達させるべきなんだと思う。「殴られたら痛い、殴った手も痛い」位のバーチャルリアリティ。ストレスフリーな環境をよしとする人々にとっては、痛みもストレスの一因となる、廃絶すべき感覚種と認識される。けれど、痛みって、もっとも原始的で、間主観性の根源として重要な感覚であって、痛みのない世界には他人は無いし、他人の存在を想像できない。
そんなわけで、子供、それから、その親に足りないのは良質のストレスだと思うし、今のテレビゲームももっともっと進化して欲しいと思うのです。
新聞で、あまりにアホな意見を目にしたせいで、キレてしまい、つい長文になって、すみません。デス見沢師はどうお考えでしょうか?(質問者:戦艦コトブキン)
A15.心理学のセンセイ方な。俺もコマッテンダよ。患者が真にウケチマッテよ。俺思うんだけどよ、心理学って、一つの宗教だゼ。だって証明のしようがネーモノ。それヲ盲目的に信じてる奴らっテ、学者と言えるノカネエ。いや、俺が言うのもアレだけどヨ。デモ俺ハさあ、一応自分の経験として、ここで偉ソウナこと言ってんダケドよ、大学のセンセイ達って、ずっト自分の教室にコモって勉強シテル訳ダロ? 現実が解るワケナイんだよ。それこそバーチャルな世界だッテのにナ。
「デビルマン」読んだか? 一番最初の奴。テレビじゃなくて、漫画の。アレにな、どっかの大学教授が出て来て、「これこれコーユウ奴らは悪魔なので殺しマセウ」ってテレビで言ったら、それを信じて、日本中がヒステリー状態になる、ってシーンがあるんダヨ。あれ、戦時中のマスコミを皮肉ったモノだと思ってたけド、現実に成りかねンな。いったい、そのセンセイの言う事、どの位の奴ラが信じてルんだろうカ。事と次第によっちャ、俺、今スグ海外に逃げルゼ?
ストレスの無い生活ネエ。想像モ出来ヤシネエナ。何だそれ。どういう頭の構造カラそうイッタ考えガ出るンダ。俺の理解の範疇を超えてルゼ。まあ、そう言う先生は××な人ダ、と言うことデ納得デキルンだが、やっぱり怖いのハ、それを「偉い先生の言うコトダカラ」と鵜呑みにスル奴等ダロウナ。俺は、教育ナンザこれッポッチもあてにシテ無かったシ、これからもスルつもりハ無いケド、「人を疑うこと」だけは教えて欲しいと思うゼ。科学、いや、学問の基本ダロ?
ゲームな。俺は一日5時間くライやってるゼ。医療相談室始めてカラ、あんまリやレなくナッテきたケド。格闘だったラ「サムスピ」とか「闘神伝」シリーズだな。サイキックの2はまだ出ないのカねエ。ところデ、そういった格闘ゲームをとことんまでリアリズムを追求シテいったら、結局普通の「喧嘩」とか「格闘技」になる様な気がスルんだが。それはそれデいいんだケドね。今の子供たちって、ちゃんと喧嘩してんノかな。俺は大学1年以来やってなイけど、それまデは年に一回くらイのペースだったかナ。普通ダヨナ。でも、喧嘩はやっぱりゲームという感覚と、ちょっと違うか。似てるのは「格闘技」の方か。デモ、どっちにしろ、今の親たちは「そんな野蛮なもの、ヤッテハイケマセン」とか言イソーダナー。
今の子供は、ストレスは十分に足りてると思うゼ。NO FUTUREだからな。塾で毎晩遅くまで勉強しても、会社入っても官僚になってもいい目なシ。これって、懲役の上死刑っテ事ジャネエノ? オカシクなるノガ普通だよ。この状態を何とかしようト思ったら、それこそクーデターでもおこす他は無いンジャネエ? デモ俺は、別にこの国を何とかシナキャならないなんテ全っ然考えてねえから、これ以上変になっタラとっととこの国とオサラバするケドナ! ギャハハハハハ!(デス見沢)
Q1. Q2. Q3を読む(キーワード:年金、精神病と雇用、アダルトチルドレン)
Q4. Q5. Q6を読む(キーワード:大人の子供化、精神科医のなり方、脳が破壊?)
Q7. Q8. Q9を読む(キーワード:Q6の英語、酒鬼薔薇、家族計画、アルミと痴呆)
Q10. Q11. Q12. Q13. Q14を読む(キーワード:中学生女教師殺害事件、殺人は悪いこと?、他人が死ぬのは面白い?、生霊とドッペルゲンガー、夫婦って何?) to TERMINAL NO FUTURE
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